ページ

2016-12-01

今日から師走の朝ブログ。

今日から師走、経済中心社会のにぎやかな電飾イルミネーションが、そこかしこに、かなりの電源の大元である原子力発電事故のことも、私も含め大方は忘れ去ってしまう、やんごとなき人間社会の現実。(妻もささやかな小さなイルミネーションを玄関先に、師走下旬になるとかざる)

人間は嫌なことは忘れ去り、都合のいいように日々を何とか送ってゆかざるを得ないように、人間の脳は仕組まれているのかもしれないと、能なしの私などはかんがえてしまう。

だが、私は闇が深い昭和の幼少期を送ったので、大げさな明かりよりも、漆黒の闇の中に浮かぶささやかな明かりの方が理屈ではなく、しっくりくる。

こういう感性は、生れ落ちた環境の中で育まれたものであるから、当人である私にはどうしようもないものである。静けさや漆黒の闇の中でこそ、五感は研ぎ澄まされてくるのではないかという気が私はするのだがどうであろうか。

電飾にまかれたり、ライトアップされた樹木たちは黙して語らないが、私にはときおり痛々しく感じられるのだが、、、。人が動き、金が動き、経済が発展するという大きな渦のこの世の流れからは、小生は完全に乗り遅れているし、ついてゆく気もないし、遠巻きに低みの見物を、決め込んでいる。

ところで、話は変わる。気になった書評などを、この十数年切り抜いていたのだが、そのノートが数十冊になりそろそろもうやめようかという気になってきている。

というのは、このいわば趣味の切り抜きは、子育て真っ最中の、私のもっとも金のかからない楽しみの一つとして、始めたものであったので、子育てが終わり、再び得たかなりの自由時間を、ほかのことに使いたいという思いが湧いてきているのである。

十数年やってきたことを、急には変えられないものの、徐々に減らしてゆくつもりである。切り抜きを始めたころは、土いじりとか声出しとか、まったくやっていなかったので、まあいわばライフスタイルの変化と共に、あれやこれはできないという当然の帰結である。

何事も内なる自然な流れの声に従うだけなのである。再び話は変わるが、電話などというものも私の子供時代にはお金持ちの家にしかなかった、ツールである。半世紀で浦島太郎というしかないくらいに、私たちの生活環境は激変してしまった。

いわば、私の体はその流れについてゆけないのである。必死でついていっていたのだが、漸くにしてついてゆかなくてもいい、限りなく幼少期の自由に近い、時間を再び生きられるような感覚を、いまどことなく生きているような気がしているのだ。

子供のころ、もちろんお金などはなかったが、そのことで私は好運に悲惨な思いもしたことはないし、パンツ一枚で泳ぎまわり、魚を取り、気が付いたら見よう見まねで誰と競争することもなく、泳ぎを覚えていた。

五十鈴川は、私の原点のかけがえのない川である。年に数回、この十数年私は五十鈴川のほとりに立つが、いまだ私の中に生きている幼少期のかけがえのない記憶が、今をよりよく生きるよすがとして、呼ぶのだ。

今回の帰省で73歳の姉が、変な俳句を詠み、短冊に書いてくれた。【帰るたび・落ち鮎漁の・弟よ】まさかこのような歌を、やがては姉が書いてくれるとは思いもしなかったので、うれしかった。

11月は何かと忙しかったので、12月は一年の締めくくり、可能な限り穏やかにすごしたいと思う朝ブログである。

0 件のコメント:

コメントを投稿