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2015-04-03

入ったばかりのHさんが、ほんわかとした人柄のにじみ出る発表会パンフを作ってくれました。

こんな真夜中にブログを書くことは極めてまれだが、63歳なのに体がほてっている。木曜日なのだが二日連続で遊声塾のレッスンを終えて帰ってきたばかりだが、どういっていいかわからないくらいの幸福感が体に押し寄せているのである。
我が家の小松菜の花

帰りの電車で、体を冷やすために飲んだいっぱいの缶ビールが、心地よく体の中を動き回る。ブログはほとんど朝書いているので、真夜中寝る前に書くなんてことは、まずほとんどない。

朝書いてもいいのだが、何やら今書きたいのである。疲れているのだがいい年なのに書かずにはいられないというか。

 それもこれもきっと感動したからなのだ。入りたてのHさんがたった一日で、当日の発表会の見開きパンフを作ってくれたのである。

意外なことが起こるからこそ、私は生きているといってもいい。明日も今日と同じような人生がいいひとも肯定する。だが私はそればかりではつまらない。何か自分がアクションを起こすことで、未知なる意外な展開が起こるそのことこそが、贅沢なことである、と私は思うのである。

 いま、Hさんが作ってくれた心のこもったパンフを傍らで眺めながら書いているのだが、なんともシンプルなのに、あったかい人柄が醸しだされていて、ただ単純にうれしいのである。

十二夜、無謀朗読会に 入りたてにもかかわらず多面的に遊声塾の発表会を盛り上げてくださる人との出会いの妙、言葉がかすむ。

ともあれ、四日の発表会は明後日であるが、今日の稽古で私の中では稽古はほぼ終わり。明日は虚心に十二夜をもう一度、個人的に稽古し明後日の本番を塾生と楽しむつもりでいる。

春の宵闇、西大寺の駅をに降り立つ、空には美しい丸い月、学芸館の桜並木を眺めながら一人お花見しながら歩いた。

発表会が終わったら出会ったばかりの塾生たちとお花見としゃれたいものだ。

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