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2015-04-07

遊声塾を立ち上げて二年、かすかに何かが見えてきました。

今回の遊声塾の発表会、個人的に私が案内を出したのと、近しい方にチラシを配布したくらいのPRしかしなかった。

それでも30名近い方々が、駆けつけてくださった。塾生の家族や知人と、私の友人と岡山でこれまで企画したことで知りえたまれな感性の持ち主の方々である。

そのなかで、妻と娘、神奈川の横須賀からわざわざ駆けつけてくれた親友K氏、香川から来てくださった I氏、福山から来てくださったOご夫妻、ちょっとした誤解で疎遠になっていたS氏、20年ぶり再会したT氏等々・・・。

オーバーだが、私が還暦後かなり意識的に生き方も含め、変化し続けているなか、私にとっての大切な方々のかなりの方が来てくださった。

このなんともはや、忙しいそして お花見の季節にである。私はこれまでかなりのイベントを企画してきたが、観客とはうつり替わりゆくものである、という認識を持っている。それが自然である、そして私もまた移り変わっていく。

何度も書いているが、3・11以後、何かが私の中で壊れ、私の中で本当に大切な人たちとの時間を、可能な限り自分に正直に生きてゆける時間を、と私は半ば頑固なくらいに、自分に課しているようなところがある。(これまでの交友関係が続かなくなっても)

私はかなり反省している。でないと、またもや易きに流れ、取り返しがつかないような愚を犯してしまいそうな気がするのである。そこまで、かたくなにならなくても、との声も聞こえる。

畑で野菜を育てたり、何かを企画したり、私がシェイクスピアの私塾を作って、自分にある種の負荷をかけるのはなぜかと、時折自問自答する。理由はいろいろつけられるが、いまは書く気もしないし、書いても短いブログ時間では、思いを伝えきれない。

ただ一つ言えることは、そんなに安穏とは生きられない時代が、ひたひたと押し寄せてきて来ているという危機感である。野坂昭如氏は毎日新聞連載、七転び八起き、の最終回(200回目)、思考停止70年、で書いている。

敗戦から何を学んだか、原発事故から何を学んだか、安倍首相悲願の憲法改正は日本を破滅に導くだろうと、戦争というものは気づいた時には始まっていると。

(だからどうしたらいいのかは、各人が自ら責任をもって考える)
 
だから私は初めて得たといっても過言ではない、還暦後の限りなく初めての人生自由時間を、これまでやりたくてもできなかった、家族をはじめとする、身近な大切な人たちと暮らしてゆきたいのである。

生来の九州人 的な楽天気質の私は、ことさらに悲観してばかりいるのではない。私塾を立ち上げることで、これまでの自分とは決別し、新しく再出発したいのである。

乗り物などなく、ただ歩いて日々を送っていた先人たちから学びたいのである。見つけようと思えば、見つかるということを私はこれまでの人生で学んできた。簡単にあきらめるのは、もったいない。

今回の発表会で私はそのことをあらためてはっきりと学んだ。身を捨ててこそ、なりふり構わぬ中からこそ、なにかがにわかに立ち上がってくるかのような感覚、それは棚から牡丹餅のようには落ちてこない。自分で手を伸ばして掴み取らなくては。
 
 まずは私にとっての大切な方たちとの自由な人生を最優先、かろうじて平和ないま、やれるときにやれることを悔いなくやっておきたい。

ところで、発表会の翌日、西川の私のお気に入りの場所で雨上がり親友のK氏と二人きりで桜吹雪の中のお花見をした。出会って35年途切れずの中、私が人生で最も困難な時もいつも影のように、寄り添ってくれた友。

人生の友が発表会をほめてくれた。とりあえず現時点での万感の思いに私は心身が満たされた。

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