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2015-04-15

素敵なお便りをTさんから頂きました、そして思う

55歳を過ぎたころからは特にそうですが、あまり人が来てくれそうもないような企画をするようになってから来てくださるようになったTさんというかたから、人柄のにじみでる心のこもったお手紙をいただきました。

私も含めて本当に現代人は手紙を書かなくなりました。だからなのです、自省をしないと、という思いに駆られます。せめて、お手紙をいただいたら、たとえ短いお返事をであれ書くということを、自分に課したく思います。

ただ、内容によっては簡単には書けないようなこともありますから、よく考えて書くということが、特に私の場合は必要です。なぜなら、私自身が軽佻浮薄な人間を自認しているからです。

今となっては、ちょっと信じられませんが、私は書くことも本を読むこともまったく苦手な人間でした、18歳までは。 ところが、上京し小さな演劇学校に入ってから、あまりの井の中の蛙の自分を認識するようになってから、ゆっくりゆっくり自分が変わり始めてゆきました。

そうはいっても、生きてゆくだけでひーひーの自分の暮らし。そんなふがいない自分との格闘は本当に長い間続いて(いまだにそんな気がしています)いたのですが、いま思うとやはり、ロンドンでのわずか一年の暮らしが 、私を変えたように思います。

わたしは日記を書くということを、自分に課したのです。高校を出て以来、まったくの自由時間を7年ぶりに手にしたのですから。結果私は、着いた日から一日も休まずその日何をしたかという、夏休みの小学生日記のようなつたない文章を書き続けました。

今も青春の宝として私の手元に残っています。それを見ると今更ながらじぶんの凡庸さがよくわかるのですが、凡庸は凡庸なりに何かにせき立てられるように、ノートに小さな文字でぎっしりと書いています。

日本に戻ってきてから、また元の木阿弥になるのですが、あのころから何かが、自分の中で変わり始めたように思います。苦手なこともゆっくりと克服してゆけるような感覚が育ってきたかのような。

自分なりに世界を見つけてゆく、自分自身から出発するしかない当たり前のことに、気づき始めたというか、人と比較しない、一回限りの人生を悔いなく生きる覚悟のようなものが生まれてきたように思います。

 さてTさんのお手紙の内容は、発表会に行くという予約を入れたのにその日体調がすぐれず、ゆけなかったことに対するお詫びのおたよりでした。

いまどきこのような誠実な方もいらっしゃるということに、私自身が打たれます。アンケートを送ってくださった方もそうですが、私はこのようなまれな人たちとの巡り合いを、今後は一層大切にして生きてゆきたくおもうのです。

一日一日を、とにもかくにもきちんと手の届く範囲を、大事に生きておられる方の たたずまいというものに、漸くにして最近私は惹かれるようになってきました。

身の回りの小事を大切に生きておられる人柄が文字と文章から伝わってきます。このような感性の方と間接的ではあれ、たまたま交遊がもてる(お手紙が頂ける)人生の幸せをかみしめます。

世の中にはいろんな状況を抱えながら、希望を失わず素敵に生きておられる方々がいらっしゃる、そのことを想像すると、ただ単に体が動き、ともにシェイクスピアを声に出せる仲間がいる、そのことだけで何と私は果報者であることか。

少数であれ、波動の合う人たちとの人生時間をつましく楽しく生きられれば、それこそが私のいま望む黄金の日々、というほかない。

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