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2015-04-06

シェイクスピア遊声塾、第2回発表会を無事終えることができました。

一昨日、シェイクスピア遊声塾の第2回発表会を、薄氷を踏む形ながら何とか終えることができた。
Hさんが作ってくださったパンフレット、感謝します。

中世夢が原を退職した時点では、まだ塾を始める決意には至らなかったが、もうすぐ塾をたちあげて丸2年が経つ。

昨年、遊声塾第一回発表会を終えた後、塾生は3人となった。その後、私が農の仕事にかなりの時間を拘束されたり、娘が嫁いだり個人的に大きな出来事が重なり、遊声塾生は3人のままで推移していた。

私がとてもうれしかったのは、塾生の中からもっと多方面に働きかけて、塾生を増やしましょうという声かけが上がったことである。

私ももちろんその気でいたので、妻に簡単な塾生募集のチラシを作ってもらい、私自身も積極的に(半ばダメもとで)動き出した。

やはり動かないと駄目である、その効果は出た。 とにかく普段の遊声塾のレッスンを見学に来てもらっておうと考え、2月末に3人の方の前で実行したのだ。

結果、この3人の方が全員入塾してくださり、うれしいことは重なる。インターネットで募集のチラシを見た女性がこれまた見学に来て、その場で入塾を決めてくださり、3名から一気に7人に塾生が増えたのだ。

私のブログをきちんと読んでくださっている方は、この間の推移はよくご存じだと思います。この4人の方の突然の参加がなかったら、遊声塾の第2回発表会はどんな結末を迎えていたのかは、神のみぞ知るといった、ことになっていたのではないかと、時に小生暗澹、呆然 となる。

しかし、またもや私はこの年になっても、いろんなことを学べる自分自身を、ことのほかうれしく思っている。18歳から世の中に出て、いつも追い込まれると不思議と力が湧いてきて、その都度自分にとっての難局をかろうじて乗り越えてきたのだが、今回もまた、結果そのようなことになってしまったのだと、いま考えている。

苦難を乗り越えたときほど感動は大きい。いま、十二夜のマルヴォ―リオ のセリフのように、神よ感謝します、と虚空に向かって叫びたいような心持なのである。

ところで、塾を立ち上げた当初は、何しろ 三十数年ぶりにシェイクスピアを声に出すので、私自身が頭はさることながら、身体がすっかり錆びついていて、そのことが私をして少し躊躇させていたのだが、二年間シェイクスピアを声に出し続けていたら、徐々に二十代のころのような勘が動き始め
たのである。

自信とともに、塾生も増えて来て無事に何とか発表会を終えた今、次なる希望の展開がほの見えてきたかのような気がしている。それを実現するためにはまたもや険しい道を歩かなければならないが、生きている間のどのような道も、結局は険しいのだと覚悟を決めれば、道は歩けると私は信じる側に立つ。

シェイクスピアの言うように、終わりよければである。まだまだ終わりは先だが、真実の終わりに向かっての楽しい修業 を重ねるつもりである。

それにしても、思わぬ素敵な塾生に巡り合えた私は幸運というしかない。次の発表会に向かってこの面々との出会いの深まりを重ねてゆく稽古時間を大切に努力したい。

1 件のコメント:

  1. この劇の題名が なぜ 「十二夜」なんだろう、と思っていたのですが、十二夜=ばか騒ぎ=秩序の転覆、という意味があったのですね。 次回の発表会も楽しみにしております。出演者の皆さま ありがとうございました。

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