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2015-04-19

精神と身体が連動する暮らしとは。

昨日は、久しぶりに体をくたくたになるまで動かし、一日中畑で過ごした。今年の春は雨がやたらと多く、動ける日が限られるので、やれるときにやるしかない(ここ一番の集中力)からである。

でも有難いことに、私の場合、雨の中は雨の日でやることが次々にある今の暮らしを、ことのほかに楽しめる、充実した老春の日々が おくれている。
橋爪大三郎さんの本、教わることは楽しい

すべてはおかげさま、健康である体あればこそというしかない。

実年齢にしては体がよく動いてくれるので、何とか下り坂をの体に感謝しケアーしながらの日々をと、つとに塾生が増えてから、思い至るようになってきた。

特段のトレーニングのようなことはしていないが、畑で体を動かすことが 、私の場合、私なりのトレーニング的要素をしめていて、体のいろんな動きを意識して動かしている。

草刈は集中力を養い、有酸素運動がかなりできるのである。一日1時間もやれば十分である。チシャトウの苗を植えたりするのは、立ったりしゃがんだりの繰り返しが多いのだが、これもスクワット的に自分で工夫してやっている。

何事も楽しむ工夫をしないと、単なる労働となってしまうので、私はつまらないのである。青春の終わり、富良野塾で限界まで体を動かして鍛えられた経験は、いまとなってはこれまた私の宝である。

頭は、足腰の一番上に乗っかっている。ふらふらした足腰の上にある頭は危ないのでは、という気が私はしている。人間が弱気になるのは、私の場合は体の動きが弱った時である。

若い時には強気でどんどんいけるが、歳を重ねるとそうは問屋が卸さない。そこで工夫しなさいと、あらゆる優れた先人たちが語っている。

特に畑仕事や声を出したりすることは、いやでも自分の体と向かい合うしかない。だからそこが私には面白いのではないかと、自分なりに考えている。

あらゆる一日、気の流れ体の循環を良くしてゆけばいいのかを、還暦後いちだんと考えるようになってきたように思う。ささやかな自分の居場所でつましくも楽しく生きてゆく方法、自分(自分が考えているのではないという気も最近はしています)で見つけるしかない。

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