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2013-05-29

梅雨空の中つれづれなるままに声を出して遊ぶ


梅雨に入って数日経つ、私は梅雨が嫌いではない。外でのささやかな個人的な身体動かしに少々影響が出るが、よほど激しい雨でない限り、濡れても私は出かけることにしている。紫外線に当たるより、雨を感じる方がよほど気持ちがいい。今朝も運動公園まで出かけてきた。傘をさして犬を散歩させている人くらいしかいない。静かな一日の穏やかな始まり。

 

30分くらい、普段やっている身体動かしをやって家に帰り、お風呂の残り水を頭からかぶりさっぱりして、朝食を済ませ、雨なので室内に洗濯物を干し、リビング、階段、廊下などつまり板の間を雑巾がけし、部屋をさっぱりしてから自分の時間に突入、本を少し読み、なんてことをしていると時間は瞬く間に過ぎてゆきます。

 

エリックマリアを終えてからは、週に一度の遊声塾を中心に生活を組み立てていますが、わずかの家事や、自分が決めたあれやこれやを、何とはなしにこなしていると、まったくお金とは無縁な時間ではありますが、さらさらと流れゆくという按配なのです。自分の性格としては意外なことに、こんなにも一人で過ごせる自分を、離職後楽しんでいます。

 

手紙を書くなんてことも、以前に比べたら比較にならないくらい、落ち着いて書けるし、このブログだって、ゆったりと書けるという事は、はなはだ個人的なことであれ私にいとっては、時間を気にしなくていいということがどれほどあり難いか、本人にしか感知しえないことです。

 

本を読んでいて、いいなあとおもえる文句なんかがあると、中断してノートに写筆するなんてことも最近はする自分がいます。限りなく時代とは逆行してゆく自分を自覚しつつ、先人たちのおおらかで、豊かな精神的営みを、これから本格的に歳を重ねてゆく自分の中に、注入してゆきたいという思いは、ますます深まってゆくようです。

 

無理をするのではなく、その年齢の中での動ける中での身体動かし、出せるうちに声を出すという意識的行為が、遊声塾を始めた私には絶対に必要な日課になりました。あらゆるプロのスポーツや、演奏家が、繰り返し練習を怠らないように、プロならば続けるしかありません。

 

この数年、歳相応に肩や背中に金属疲労のようなこりを抱え持っていますが、意識してそこの部分を自分自身で按摩をするように、揉みほぐすのですが、やるとやらないのとでは大違い、人間の体は、この年になっても意識を集中し使えば、それなりに反応が返ってきます。

 

だから続けられるのかもしれません。30年ぶりくらいに本格的に声を出し始めておもうことは、意識するということの大切さ、です。意識しての他者との中での音読は、限りなく脳を含めた身体全体を活性化させます。何やら群読の楽しみの発見が、塾生たちのおかげで見つけられそうな予感がしています。今日もしばし気兼ねなく誰もいない家で、一人で声を出して遊びます。


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