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2013-05-18

斎藤明美・編 高峰秀子 夫婦の流儀 を読む



一昨日くらいから我が家の駐車スペースの塀にはわせている蔓バラが開き始めました。これは母が差し木から育てたもので、もう10年近くになるのではないかと思います。とくにこの数年見事に、眼を楽しませてくれていています。(余裕のある方は連絡の上見にいらしてください、歓迎します)

 

これから何回か、咲き始めから満開までをブログにアップしようかとおもっていまます。とくにこの数年、少し時間に余裕のできた妻がガーデニングにいそしんでおり、母のDNAを受け継いでいる妻の植物(犬や猫にたいしても)にたいする愛情表現のこまやかさは、私にも影響を及ぼし始めています。

 

これからは当たり前のことですが、夫婦の時間が増えてきます。まだ退職してからそんなに間がなく、何かと忙しくはしているものの、この束縛されない時間のなんとも言えない自由感は、私のなかにこれまでとは異なる内的な静かな世界を育んでくれそうな予感がしています。

 

先年お亡くなりになった高峰秀子さんの私はファンです。若いころ彼女の自伝、わたしの渡世日記を読み、そのあまりの独特独学文章の、彼女にしか書けない、きらきらひかる個性にうなり、一発でファンになりました。

 

私の母も彼女のファンでした。この数年、縁あって養女になられた斎藤明美さんが書かれた、高峰さんとの出会いから養女になるまでの間の本を、ひそかに求め読んでいます。ブログを書き始めたころ、宮崎に帰る鈍行列車の中で、一気に読みふけったことを書いた記憶があります。(何度も目頭が熱くなりました)

 

そして今、昨年の11月に出された、夫婦の流儀、いう本を今読んでいるのですが読み終えるのが惜しいくらいに、ゆっくりとページをめくっています。(又しても何度も目頭が熱くなりました)斎藤明美さんは、このご夫婦に出会っての驚いた一部始終を、愛というしかないほどの情熱で持って、本にされています。

 

このような御夫婦が現代の東京の片隅でひっそりと生活されていた、ということのなんというのか、まさに奇跡的な御夫婦と言うしかないほどの、表現しがたい中睦まじさに、わたしは茫然自失する。

 

そして万分の一でもいいから、これからの晩年を共に歩む夫婦という関係を新たに見つめてゆくよすがとしたい本に巡り合えたことの喜びを、我がブログに記しておきたい。

 

 

 

 

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