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2013-05-21

可能な限り、働いていたときにやれなかったことをやる暮らしを心懸ける


親友と宮島で夕方何十年ぶりに潮干狩り

歳を重ねないと見えてこないものがあるということを、もう繰り返し書いているように思えるけれども、おそらくそのことがある意味でこれからブログを書きつづけてゆくエネルギーになってゆくのではないかという予感がして、余人には、特に若い人には理解しがたいかもしれないが、オーバーではなく私が求めていたある種の達成感は、こういうことなのだという、実感がこのところの私をおそっている。

 

以前から、やろうとおもっていて先延ばしになっていたことのあれやこれやを、ひとつずつやろうとは思うものの、人間というのはそうはなかなかに事はゆかないということも抱えながら、でもやっている。そのひとつ、随分前にペルシャ音楽を企画した時に、お土産にいただいた堅い岩塩を砕いて粒上にしようと思いながら、あれやこれやを口実に、うっちゃって置いたのだが、それを母の知恵を借りて一時間くらいかけて念願を成就した。プラスティックのいい按配の容器を母が用意してくれ、それにいっぱいになった。おそらく数年は充分に使える量だ。なんとも言えず美しく愛着が湧いてくる地球の歴史を感じる岩塩、いまだ知らぬ邦ペルシャの塩。こうなると私の中では全く単なる塩ではなくなる。

 

こんなことをしている時が、仕事を辞してから妙に楽しいのだ。洗濯物を干したり雑巾がけをしたりするのも、平日は私の担当という感じなのだが、そのことが全然苦にならないのである。妻がお休みの土日以外の昼食は今のところ、全部自分で作っていて外食はしたことがないし、簡単なあり合わせの一人ランチを作るのは全く苦にならない。何よりも時間に余裕ができた今だからこそ、やれるという喜びが私を満たすのである。

 

まさか母にいただいた、ぬか床(ペルシャの塩を使ってます)を自分が毎日いそいそとかき混ぜたりするようになるなんてことは思いもしなかった。いまや、温かいご飯においしいぬか漬けの、キューリや茄子、大根、ニンジンは欠かせない。これにささやかに何か庭でとれる、サヤインゲンやサラダ菜、干物でもあれば、わたしには充分である。海苔、ニラ玉、納豆、豆腐、油揚げ、きんぴら、しらす干し、などなど、後はその日の体調が欲するものを、置いておけば、だれにも気兼ねせず、おっとりと頂ける。

 

何事も楽しむ、遊ぶ。このことがこれからの、わたしの晩年ライフの基本認識である。可能な限りお金(素材代にとどめる)に頼らず、工夫し、知恵を絞り、貧すれば鈍す、ではなく、貧すれど純に、逆境を生きる術をとことん追求する。

 

この一年くらいかなりのことを、意識実行してみて覚ったことは、生活をシンプルにすれば、意識は研ぎ澄まされてくる。身体を動かす、本を(シェイクスピアは声を出して)読む、文字を書く、自分のやれる範囲の家事労働を心かける。妻と料理を楽しむ。大切な友と遊ぶ。身体が健康なればこそである。

 

 

 

 

 

 

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