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2013-03-02

緩やかに自分自身の暮らしを見つめなおす春3月の朝

春を告げる我が家の水仙

歳を重ね、若いころと比較すると、何とまあ、いい意味で真面目(に物事を考える)になってきたのかと、我ながら自分の変化に驚く最近の私である。やはり、ときおり本質的に変えられるものなら生活を変えないと、意識がにごり、何事も好転してゆかないということを、思い知る。

 

自分の本質的なものは変えようがないが、経験を積むことでヒトはよい方にも悪い方にも変わってゆく。真面目と不真面目を往還するのが、私らしいと思うのだが、還暦を過ぎたいま、ようやっとバランス的に真面目の方が勝ってきた。

 

生きてゆくことは、恥をかくことだと私は真面目に思っている。恥を恐れず、若い時にしかできないことをやってみること、そのことがいかに大切かこの年になると解る。何度人前で恥をかいてきたことか、だからそのことは決して忘れない。失敗を繰り返し、緩やかに螺旋状に成長してゆくしかないと娘にも伝えている。

 

母がよく私に言っていたが、小さいことができないのに、大きいことは決してできないのだと。世の中に怒ったり、絶望するということは若い時は許されるとは思うのだが、親になったり、つまり社会的に責任がともなう年齢に達したら、(怒ったり絶望するのが悪いということではなく、それならどうするのかということ)不平たらたら生きるのは、みっともないというのが私の(やや極端かもしれないが)考えだ。

 

よく考え決断し、覚悟することが大人のすることだと思うが、我が国の大人たちの顔はなんとも情けない大人たちが増えてきた(自分のことはさておき)ように思える。昔、みんな悩んで大きくなったというCMがあったが、悩みながら、ヒトは生き抜く力をつけてきたのだと思う。悩みはある意味で人間であるかぎり永遠に付きまとうものである、ならば、それに敢然と向かい合う気構えが必要である。

 

各々各自が、しっかりと考え行動する力を持っている国民が多い国が、民度の高い国なのだと思う。金をたくさん持っているとか、持っていない、の問題では全然ないのだ。

 

食べるものがないということは、悲惨だと思うが、とりあえず健康と喰い物と寝るところと、つまり衣食住、それに私の場合家族と友人・仲間と少々のお金と時間があればいうことなし、チャップリンもそういっている。心に不安がないこと、に尽きる。

 

安部さんは、いまだ世界一の経済大国を目指そうなんてことを言いますが、選挙にも行かない国民が、4割もいるような国は、私にはとても先進国とはいえないのではないかと思える。

 

先日、私がこの方はいわゆる今時珍しいほどの、博覧強記の知識人だと思う(右とか左とかの狭い枠ではとらえられない、いろんなことを教えてくださる、年下の先生)佐藤優氏がデモ(を否定はしない、私もゆきたくなる)では世の中は変えられないが、選挙にゆけば、世の中は変えられるということを、述べられていましたが、然りとうなずいてしまいました。

 

謙虚に反省する。(なんと難しいことか)過ぎし来しかたを振り返ると、高度成長期の度真ん中、青春時代を過してきた私には、その波にのまれ、浮かれ、その中で身についた、余分な垢のようなものがたくさんへばりついている。

 

そのことへの反省、かすかな気づきが、生活を変えたいということなのかもしれないと考える、3月2日の朝である。

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