ページ

2013-03-19

春の嵐の中、S氏夢が原に来てくださる

 

昨日はいわゆる春の嵐のような日でしたが、そんな中S氏がわざわざ夢が原まで来てくださった。仕事の合間、お昼を囲炉裏のそばで共にし、しばし語り合う時間が持てた。氏に会うのは、昨年秋、故郷への旅を共にして以来である。

 

岡山にきて、物心両面でもっとも、世話になっている方である。性格から全てといっていいくらい、氏は私とは好対照の人物といっていい方である。絵を描かれ、寡黙でお酒も一滴も飲めない体質の持ち主で、でも私と付き合ってくださっている。

 

娘の婚約に関して書いたブログでも、いち早くコメントも頂いた。今後の私の行く末に関しても、いろいろと案じてくださっている。いつまでたっても、青臭い私とは異なり、いわゆるいい意味での大人というのか、静かに淡々と我が道をゆくタイプで、先ほども書いたが同じ我が道を行くでも、好対照である。

 

だからかもしれないのだが、お互いに惹かれるものがあるのかもしれない。亡き父にも、碁を打つ仲間で、数は少ないが相性のいい友達がいて、性格はまるで異なっていたのを思い出す。S氏は私の家族と共に、富良野塾の閉塾式にも同行していただき、その節も一足遅れて富良野にとどまった私の代わりに、妻と娘たちを吹雪の中、きちんと岡山まで連れて帰ってくださった方でもある。

 

この年になり、過ぎし来し方を振り返り、君子の交わりは淡きこと水のごとし、というが、最もそんな表現がぴったりのわが友だと思っている。何故、氏が私のような輩と付き合ってくれているのかは、謎のような感じなのだが、謎のような関係の友人は、親友と呼べる数少ないK氏も含め、あり難いことに私は利害の及ばない友人に恵まれているのではないかと、いま心から天に感謝している。

 

おそらく私が、61歳、心機一転出発できるのもこれまでの人生で出会えた、私を支えてくださる、あらゆる方々のおかげなのだと思う。そのことはゆめゆめ忘れてはならないと春の嵐の中働きながら、後わずかな夢が原時間の中で、心の中深く確認した。

 

43年ぶり、経済的なことはともかく心からやりたいことに、時間を使うことができる生活が訪れようとしいている。このことは私なりの43年間を、とにもかくにも生き抜いててきた私にしかわからない何かがあるので、この喜びを忘れず、身体と心が動く間は、私なりの仕事を追求してゆきたいと考えている。

 

全てに気づくことの遅い私である。ささやかに学びながら、表現者、企画者としての一回性の生の充実を、出会えた方々と共にと願う、今を生きる私です。

 

 

 

1 件のコメント:

  1. 昨日はお世話になりありがとうございました。
    雨の夢が原に行きたかったので、十分楽しませていただきました。
    お昼までに1時間30分程、園内を散策しました。
    私にとっても夢が原は、思い出がいっぱい詰まった空間です。
    10年間日高さんとイベントにかかわってきましたが、第1回目の冒頭ザウセの体全体から出る歌声を耳にした時の、私の胸にこみ上げてきた感動は、一生忘れることはないでしょう。額に汗した者のみが、味わえる感動だと思います。

    以後10年間、私にとっては宝石のような時間でした。
    仕事の範囲では、絶対に経験できない世界を体験でき、
    日高さんには心から感謝しています。

    3月12日で私も還暦を迎えました。
    いつも1年先を歩いていらっしゃる日高さんは、妹しかいない私には、兄貴のような存在で、道しるべとしてブログを読ませていただいています。

    還暦といってもまだ実感がわきませんが、子供たちの成長を見ると確実に時が過ぎたことを認めざるを得ません。
    これから先どんな生き方をするか、しっかりとした思いを持っていないと、ただただ時流に流されてしましそうな時代です。答えはありませんが、自由に使える時間が仕事をしている時よりはあるので、悔いを残さないよう一日一日を大切にしたいと思います。

    今日はこれから裏山へ行きます。
    私にとってここは桃源郷です。
    4月にはぜひ日高さんもお出で下さい。

    返信削除