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2013-03-22

S氏からのコメントが、心から嬉しかった朝に思う遊声塾

いまはなくなった夢の書店・松丸本舗(本文とは関係ありません)

19日の朝書いたブログをS氏が読まれ、これまでで最も長く、嬉しく、そしてしみじみとありがたいコメントを頂いた。

 

私の拙い極めて個人的、庶民的、日々移ろう恥かきかきブログにはほとんどコメントがないので、このようなコメントを頂くと、もう間もなく書き始めて3年と5カ月が経つわけだけれども、くりかえすが心から嬉しく、書きつづけて良かったという思いにとらわれる。

 

この間の私事の変化、世の中の変化は驚くばかりだが、庶民の立場で物事をささやかに考える癖のような感覚が(ささやかな持続向上心とでもいうのか)自分の中に育ってきているのを感じるのだ。

 

だからなのかもしれない、そういう未だ湧きあがる感覚があるからこそ、そこにしがみついて、61歳から新たな人生の歩みを始めたいという思いなのである。無理をするということではなく、柳に風のような自然な希望感覚。

 

今この瞬間も言葉が湧くから、ブログも書けるし、身体も動かせ、企画もできる、声を出すレッスンも可能というわけだ。何よりも生かされている今を、大切にしながら、意識を働かせる。ブログや体操は意識の訓練には、私の場合いまや欠かせない。若いころのようには時間を使えない、時間は宝の年齢なのである。

 

古いかもしれないが、両親やあらゆるこれまでの私の人生を支えてくださった(それから今も支えてくれている)人たちに日向弁で、がんたれだった私は顔向けできないのです。

 

S氏のコメントに、額に汗した、という言葉がある。額に汗したものだけが、感知しうる喜び。汗はだそうと思ってだせるものではない。身体は自分のものではない、与えられたものである。

 

度々書いていますが、生きている喜びの一つは、動けるそして気づく、ということに在ると最近私は考えています。自分の身体の動き具合の不思議に気づく、意識的訓練をすると思わぬことが、楽しくなってきたりするから面白いのです。電車や車とかで動くのではなく、唯一無二の身体で動(く)けるということ。

 

老いていよいよ身体が若いころのようには動けなくなり、ただ動けると言うだけで在り難いということが、おそらく身に沁みてくるまで、これはなかなかに難しいことだはありますが、50代に入ってから、現在まで自分の身体をかなり意識するようになってきました。あれから10年以上、意識するかしないかでこんなにも変わる自分を感じています。

 

話は変わり、若いころ演劇を学んでほんとうに良かったと思える私です。身体を動かし、声を出すということを、シェイクスピアをテキストにして再び遊んでみたい。あの時代の人びとは、娯楽(も金も)が少ないので声を出せる自分の身体を唯一の武器に人生を謳歌して生きていたのでしょう。(でないとあんな膨大な台詞はしゃべれないと思う)過剰なあのセリフをしゃべるのは体力と精神の集中が要ります。

 

遊び心満載のシェイクスピアの戯曲、それにすがり、あやかり私も今しばらく、ビビッドに声を出す、ヒダカトモフミ・シェイクスピア遊声塾をやってみたいのです。

 

思いついたら、若いころから常識にとらわれず、とにもかくにも能力もないのに恥をかきつつやってきました。結果をおそれず。やってみないことには分からないことだらけの人生なのですから。

 

シェイクスピアのいきいきとした絢爛豪華な台詞をきちんト生きた声に出し、遊ぶというところまではなかなかゆかないかもしれませんが、集えた方々が、腹の底から笑ったりできる、オーバーに言えば、人前で声を出し、恥をかくことを恐れず快感になる位の遊声塾を目指したいのです。

 

何よりも、レッスンをつける私自身がガマの油のように恥をかきつつ、生きる力をなんとか身につけてきた、その源の宝石のようなシェイクスピア作品を、群読し、今を生きる糧としたいのです。

1 件のコメント:

  1. 私にとって10年前になくて今あるものは、ウォーキングと山登りです。
    少しの好奇心と勇気と努力があれば、自分でも考えもしなかった世界が、自分の人生に開けてくるものですね。

    ほぼ10年程前に私は、登山教室に入門しました。
    最初の頃は体力もなく、最後の方を息を切らしながらやっとの思いで登っていました。
    これではいけないと思い健康も兼ね、毎日1万歩を目安に歩くことを続けました。職場の通勤も車から徒歩に変え、出来るだけ歩いて行ける所は歩くことを続けています。

    だいたい人間は何万年もの間、ただひたすら歩いて移動し生活してきたわけで、車などはここ50年くらいのことでしょう。人は元々歩くように創られているのです。
    歩くことにより体力も付き、健康にもなりました。
    毎年の人間ドックもほとんどの項目が「A]判定です。
    還暦になると健康な体でいられることほど有難く、これ以上の宝物はないと思っています。

    昨年の2月には、アフリカの最高峰キリマンジャロ(タンザニア 5,682m)にも登頂出来ました。
    アフリカといえば、夢が原での野外コンサートでアフリカのマエストロのコンサートが何度かありましたが、まさか自分がアフリカ大陸の最高峰に登るなど、その当時予想もしていませんでした。

    予想だにしないことが起こるのが、人生でしょう。
    それが良いこと楽しいことであれば、幸せな人生だったといえるのでしょう。

    仕事を辞めてから日本の山をはじめ、ブータン、ネパール、スイス、アフリカの山に登って来ましたが、ここには記せない思い出もいっぱいですが、我が家の裏山も私にとっては、それ程違わないくらい心地良い空間であることを、今体感しています。
    有名な山や高山でなくても、緑に囲まれた森の中はすばらしいのです。
    ここでひたすら汗をかくだけで、とても清々しい気分になります。
    森の生気とパワーをいただいているのでしょう。

    日高さんにとっては釈迦に説法の話でしたが、
    日高さんにここの空間で、遊声塾をされることを提案いたします。

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