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2013-03-17

61歳から、遊びをせんとや生まれけん、を基本にします

妻が丹精して育てたクリスマスローズ

以前も書いたとは思うが、繰り返し似たようなことを、名の通った作家でも書いているし、同じことを書いているのに、やはり時間が経つと微妙に文体や、言葉のニュアンスが異なるのは、やはり同じ精神状態ではなく、いまその瞬間を文体化しているからだと思う。

 

さて歩くということに興味が湧いてきたということを、この前書いたことがあるのですが、4月からは本当に自分の時間が増えるので、真面目に歩くことについて考えながら(別に考えなくてもいいのですが)とにもかくにも歩く時間を、日々の暮らしに取り入れてみようかと思案しています。

 

21年間、夢が原で身体を動かしていたのですから、急に動かなくなるということに関して、身体が違和感を覚えるような気がするし、これからの自分の仕事を、可能な限りいいコンディションで取り組んでゆくためには、何よりも身体の調子を整えながら日々を過すということについて、意識し、与えられた自由になる時間を自立して過ごしたいのです。

 

何よりも頭は足と腰の上に位置し、頭は足と腰の衰えからやってくるというのが、私の認識です。なにげなく動ける、歩けるということは、実に複雑な身体の仕組みの上に成り立っているということを、徐々に足腰が弱ってくるようになると良くわかるのです。

 

61歳の自分の体力が、どれくらいあるのか自分でもよくは分からないのですが、(すべては自分の体から始める、他人と比較することはナンセンス)この間急におもいたち、岡山駅から我が家までゆっくりゆっくり歩いてみました。途中車の来ない川の土手は、本を片手に。3時間もかからず歩くことができました。これからは無意味に、ただ歩くということではなく、生活のリズムを組み立ててゆく基本にすることが、自分の場合はいいのではないかということの自覚が芽生えてきました。

 

せっかく与えられた、これからの限られた時間を可能な限り、お金に頼らず自分の身体と遊ぶ方法を、見つけたいと思う私です。健康に関する本は巷に溢れていますが,他人の身体と自分の身体は違うのですから、自分の身体にあった体操や歩き方を見つけ遊びたいのです。

 

シェイクスピアの遊声塾は、翻訳の文体ではあれ、言葉遊びの楽しさを見つけてゆきたいと、思っています。プロの役者を目指すのではないのです、自分の身体が音を出す、話す、語る、器であるということを、(自覚することを)遊ぶ塾です。

 

本、いきいきとおおらかに声を出し遊ぶ、ということを大昔から人間はやってきたのだと思います。どのような生徒さんと出逢えるのか今から楽しみです。お互い恥をかきながら、出会いの中から何かが生まれてくる塾(声を出すこと以外にも、課外授業も考えています)を目指します。何をするにせよ、豊かな柔らかい遊び心。心身を遊ぶ。

 

これからは、万事心から遊びたいとおもう私です。生きていることを共に歩き、私と遊んでみたい方は遊声塾にいらしてみてくださいと、声をかけずにはいられない、今朝の私です。

 

 

 

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