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2013-02-28

そこはかとなく春の訪れを感じる朝

第五福竜丸展示館で求めた本

昔と違い寿命が延び、定年も見直されそうな気配の世の中ではあるけれども、私の場合はとにかく、定年を機に夢が原を辞めることを選んだ。自分なりにやれることはやったということもあるけれども、還暦を過ぎたのを機に、見果てぬ夢、というのか、無謀というのかもしれないが、原点帰りのようなことが、可能かもしれないと考えたのである。

 

安定した仕事がなくなるという道を選択するということは、そこはかとなく、ある種の勇気がいることではあるのだが、振り返ると何度も安易な生き方はしてこなかったというのか、そういう生き方が自分の場合は出来なかったというのか、だからこそ今の自分があるとも言えるわけで、終わりよければすべてよし、ではないけれども、大昔からヒトは限りなく不安定な中を、必死で生きてきたのだということが、この年になると深く実感するのだ。全身で考えるからこその面白みがあるのだ。お金では買えない醍醐味。

 

スリリングだからこそ、意識が活性化するのだということを、いくばくかこれまでの経験で私なりに学んできた。ギリギリの生活になることは覚悟している。ギリギリなのだから、金銭がともなう交友関係の充実もおのずと限られてくるかもしれないが、そういう私と変わらなくお付き合いして下さる方とは、今後ますます深くお互いの一回性の人生を楽しみたい。

 

辞める決意をしてから、昨年一年限りなく無駄使いしない生活を心がけてみて、私なりに得心したのだが、お金の無い暮らしというものも、工夫考え方次第で、充分楽しめるということが、自覚できたのである。

 

何よりも私は、中世夢が原という歴史公園で21年間(この時間は本当に私を変えたと思う)働いてきたおかげで、現代人のお金にしか価値観が見出し得ない、精神も体も全てからめ捕られ、一見自由などといいながらがんじがらめの生活、否応なくひとつの流れに収れんされる、異様な世界金融化グローバルな流れに、直感的に体が違和感を覚えていた。

 

だから、アフリカをはじめ、そのような流れにいまだ汚染されていない国ぐにに住む人たちの、お金まみれではない音楽を私は企画してきた。人体や、臓器、etc,音楽や、心の中までが売り買いされるということは、おかしいということを、私は戦後民主主義学校教育で学んできたつもりである。

 

知恵と工夫で生活しながら、お金がなくてもささやかだが心からやりたい企画を、1996年から昨年までなんとか実現することができた。このことはきっと、私と同じような思いの方々が少なからず存在するということの証で、そのことが今持って私の中のかすかな希望である。春の訪れと共に、また今年も私の中で何かが始まる。

 

 

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