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2013-02-12

60歳最後の日の朝ブログ


ブログでは触れなかったけれども、この5,6年、昨年から今年もまた私にとっては影響を受けた方とか、素晴らしい活躍をされていた方たちの、あらゆる分野での訃報が知らされる。

 

いちいちは記さないが、話はしていないがお目にかかったことがある、小沢昭一さんの死。何冊も我が書棚に本があるが、あの何ともいかがわしくも憎めない、人間の哀しさの表現は、無比の存在感で、やはり時代が生んだ、奇優であった。数年前、銀座のキャノンギャラリーで(本橋成一さんの写真展の特別ゲストでお二人の対談を聴くことができた)お声を生で聞くことができたことは、わが生涯の宝の思い出である。

 

中村勘三郎さんも、とある場所でお目にかかったことがある。まさに芸人というしかない腰の低い気配りの人で、あの豪放磊落な役者魂は両極端を併せ持っているからこその為せる演技だったのだろう。それにしても、57歳、早すぎる。

 

市川団十郎さん、テレビでしか見たことはないが、あの大きな目と他の誰にもない雰囲気、誠実で柔らかくも剛毅な語り口は強く印象に残っている。ともかく余計を承知で、歌舞伎界は大変なことだと思うが、賢い観客がいる間は大丈夫だと思わずにはいられない。しかし、興業主は、役者の健康にもっと寄りそう興行を続けないと、肝心かなめの役者がこうも早く、他界しては身も蓋もないのはないかと、素人としては案じてしまう。すぐに代打を出すような按配には行かないのだから。建物が立派になったって役者がいなきゃ。

 

再び、市井の庶民のたわごとを書かせていいただきますが、この年まで生きのびた者としてささやかに感じることの一つに、相撲界、柔道界、教育界、経済界、東電の被災者救済、、、。きりなく書かなければなりませんが、この国の人間を大切にしない体質のようなものは、いつ頃からなのか、顕在化はやはりバブル崩壊後一気に加速して、現在に至り噴出してきているような気が個人的な認識です。

 

全てに心の懐が、お金と共に浅くなり、小利口なものがはびこり、賢者(見者、目利き)の存在の不在がいかんともしがたく、人間力の低下、魅力的な人材の枯渇が、多分野でこの日本列島を覆っているというのが、正直なところ。

 

アルジェリアで日本人が一番なくなったことに関して、藤原新也さんが書いておられました、世界からもう日本人が尊敬されない時代がやってきたということが。

 

さて、そこでどうするのかということは、一人一人の特に責任世代が考えなければいけないことはもちろんだが、過去の胆力の座った素晴らしい日本人のお仕事は文字となり、音となり、色となり、形となり、姿は見えねども生きているこちら側がきちんと学ぼうと思えば、死者の遺した膨大な宝は無限にあるわけですから、生き還るのです。

 

小生少々あちこち痛みだし、いささか古くはなってきましたが、怠惰で昔学ばなかった分、今ごろになって、ようやっとという感じ、全てにあれやこれやが遅い私です。亡き母がいつも言っていましたが、気づいた時が一番若いのだと、その言葉にしがみつくしかありません。

 

 

 

 
近所の小高い山の散歩に妻とゆきました

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