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2012-10-28

友の情けが身にしみる朝

今年もたくさんの実をつけた我が家のはっさく(水滴が美しい)

私はパソコンを、ほとんど朝しか開かない。先ほど雨の止んだささやかな庭の花を眺めながら、パソコンを開くと、9月7日の映像記録を撮ってくださったT氏から、当日のライブの編集作業がほぼ終わったというメールが届いていた。

 

T氏は、チベットのオロ(昨年封切られたばかり、岡山で上映会をしたい)という亡命を余儀なくされている少年の、ドキュメントフィルムの撮影を担当されている、一流のカメラマンである。その方が私のために、ボランティアで記録を撮り、彼のプロの知人に頼んで、編集して下さったのである。

 

おそらくこのDVDは、私の現時点でのこれまでの人生での歩みが、あらゆる意味で集約されていると思う。イベントが実現するためには、あらゆる裏方の仕事がなされない限り、先ず実現しない。そのことに関しては、またいつの日か書くことがあるかもしれない。

 

今はただT氏のおかげで、かけがえのないきちんと編集した記録が残せたことが、言葉では言い表せないほどに嬉しいのである。T氏にはすぐにお礼のメールを書いたのだが、ブログでも書かずにはいられないほどに、何かがこみ上げるのだ。

 

T氏とは、ほぼ22年のお付き合いだが、密にお付き合いしているわけではないけれど、氏から送られてくる年賀状だけ(世界各地からの)は、全部とってあるし、ときおり上京した際に連絡を取り合い、お互いの元気を確認するくらいの、つまりは君子の交わりの仲なのである。

 

氏をはじめ、私は10人くらいのかけがえのない友人に恵まれているのだが、この方々に巡り合えたことは人生の宝というしかない、いろんな意味での喜び、希望の支えであり、心からの財産であると沁みて思う。そう思える自分は果報者だと、ただ庭に眼をやり、虚空に向かって感謝するのである。

 

亡き父が、繰り返し言っていた、友人を大切にせよという言葉が、還暦の私の身体の中に響きます。これからは一年一年、これまで培ってきたかけがえのない友との時間を大切に過ごそうという気持ちが一段と強まってきました。

 

ほんとうにしなやかで、強い心がけがないと、他者にはやさしくなれません。他者を思い、いたれるということは、ほんとうに難しいことだと思います。自分自身を省みて、切にそう思わずにはいられないのです。

 

T氏が、なぜここまでして下さるのか、謎として受け止め、拙文を持って深い感謝の気持ちをこの場を借りて、お伝えしたく思います。

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