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2012-10-10

万感の思いに包まれた故郷への旅

10月8日の朝、兄と二人で故郷の全景が見渡せる遠見山を散歩する

3泊4日の古里への旅を終え、昨日夕方我が家に帰ってきました。まだ旅の身体の余韻が冷めやらぬ感じです、が、とりあえず眼が覚めたので、何か書いておかなくては、とのおもいです。

 

今回の帰省は、春(この旅も兄弟の絆を深めました)に続き2度目ですが、やはり還暦とは再生の時なのだと痛感しています。気心の合う仲間との3人旅は、男同士おそらくはきっと忘れられない、充実した記念すべき里帰り旅になりました。S氏、M氏の同行は、何かがやはり巡り合わせてくれたのだと、いま思っています。

 

がそのことはまた時間得を見つけて書きますが、今回最も私は感動したのは、還暦を迎えた、いまだ人生あれこれ彷徨する愚弟の、友人を連れての帰省を、兄夫婦と姉夫婦がこれ以上には、望めないほどにあれやこれや細やかに心尽くし、迎えてくれたことでした。

 

特に兄は私の無理なお願いを快く聞き、熊本までわざわざ義理の姉と共に迎えに来てくれ、見送りまで、今回の全行程の旅のドライバーをし、旅の眼目、大崩山(おおくえやま)にも同道してくれました。私とは全く異なる人生を歩み、おたがいには共通の話題が少ないのですが、そんなことは雨散霧消、それぞれの人生の穏やかな黄昏時間が訪れたのです。

 

我が兄姉弟5人は、父の仕事の関係で小学校5年生までは共に過ごしましたが、それ以後は兄弟がばらばらに過さなくてはならない環境を生きてきて、各々皆それぞれの人生を生き、ようやっと仕事からも解放され、それぞれの晩年ライフを健康に過しています。

 

今回ほどに、しみじみとしたある種の感慨に打たれたことはありません。姉のこと、長兄のこと、すぐ上の次男のこと、弟のこと。それぞれの我が兄弟のことは、私が元気なうちに、書ける範囲でこのようなブログであれ、何らかの形で思い出の記憶(記録)として、書いておきたく思うのです。

 

以前、このブログでも触れましたが、戦後我が兄姉弟が生きてきた時間(同世代全ての)は一体全体どのような、時代であったのかを落ち着いて振り返り、現在を確認しながらこれから先の老いてゆく晩年を、可能な限り一年でも長く兄弟と共に過ごしたい、との思いが私の中で、抑えがたく私の中で膨らんでいます。

 

人間とは、限りなく自己中心的に、人生を美化しがちな生き物、であることは承知しながらも、生前父が姉兄弟仲良く、と言っていた言葉が沁みた旅でした。

 

この場を借りて、姉(義兄)、兄(義理の姉)、次兄に感謝し旅の報告とします。

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