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2012-03-29

母の命日の朝に思う

何とはなしに手にとって、つい読み続けるのが五木寛之氏の本である。私より20歳年上であるから。もうおそらく80歳になられる作家であるが、その精神は計り知れないほどに若い。今、本屋さんには親鸞の続編が積まれているから、現役バリバリである。

小説はともかく、18歳の上京したころから、氏のエッセイにかなり影響を受け、励まされてきた読者の一人なのだが、よもやまさかあれから40年近く晩年の入り口に再び、まるで再会するかのように、読み始めるとは思いもしなかった。

氏は、70歳を過ぎるころから、自分が引き揚げ時代に体験された思い出したくない辛い体験を、随分赤裸々に書かれ、自分は悪人であるから、あの過酷な状況を生き延びてきたのだと、書かれている。父と、五木氏(13歳)と弟と2歳の妹をともに、4人で。

五木氏の母は、敗戦時の痛ましい、情況の中でなくなる。今生きているのは、五木氏のみである。私の両親も北朝鮮の新義州の引き揚げ者で姉(3歳)と兄(6か月)と共に4人で命からがら引き揚げてきたことは小さいころ話に聴かされてはいたが、詳細を両親が語ることはほとんどなかった。五木氏一家は平壌からの引き上げである。私は完全なる戦後派である。戦前と戦後のあまりの相違は一人の人間としてしっかり考えたい。

先祖はどちらも九州の山の中の出である。ゆえに、勝手に親近感を覚えるのは必然という気がする。分けても因縁を感じるのは、高校生のころ・蒼ざめた馬を見よ・で直木賞をとられ華々しくデビューされたころ、文芸春秋の文化講演会で故郷の街に来られたのを、何故か私は聴きに出かけたのだ。話の中身はほとんど記憶にないが、さらばモスクワ愚連隊を、さらば息子は愚連隊、の話はよく覚えている。それとデラシネという言葉。私もデラシネの(根がない)ように今という時代を生きている。

氏の言葉には、氏独特の九州の訛りが感じられ、そのしゃべり方にも、私はかなりの親近感を抱いている。

さて、氏は人生を、4つの季節に分け、(学生期、家住期、林住期、遊行期)にわけている。私は林住期の真っただ中、先日たまたま図書館にその本が目に入ったので借りて読み終えたのだが、多岐にわたり思い至り、感じ入ることが多く、何度もうなずく自分を見つけた。

人生は、苦であり、芯からままならないということ。生きるということの意味、明らかに極めるべく、そのことを氏は、今も問い続けている。林住期は75歳のときに書かれている。答えはともかく、考え続け、問い続けている中で見つけてきた言葉を、氏はまるで釈迦のように繰り返し語る。風のように生きる(憧れる)旅の哲学的作家だと思う。

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