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2012-03-29

最後のいろり通信

後わずかで、私は社会的には定年となり、園長職を辞し、新しい生活といいますか、いわゆるセカンドライフを始めることになります。したがって、これで囲炉裏通信は終わります。園長日記という体裁で始めたいろり通信ですが、311以後世の中の情況も、私の中でも、何かが全く変わりました。

囲炉裏通信2年半の中で再三何度も同じようなことを書いていますが、私自身の中にも、緩やかになにがしかの意識の変化が訪れていることは私自身が一番自覚しています。それがたまたま還暦退職と重なるということを、自分としては前向きにとらえたいのです。

この意識の変化を大切に受け止め、これまでの人生でも何度かの大きな転機を、あえて新しいことを試みることを選択し、生きてきましたので、今回もまた、守りにはいるのではなく(守りにはいると言いますか、出来なくなる時が私の中での定年となり、余生に入りたい)これまでの経験してきたことを活かして、ささやかな内なる希望を試してみたいという、思いです。

今、なんとも言えない矛盾した気持ちが私の中に同居していますが、この内的振幅が大きいほうが出発には良いのだという気がします。東京を引き払い、20年、神様がくれたというしかない充実した時間を、夢が原は私に与えてくれました。しかしそれはもう過去のことです。

これからは未知の未来に向け、ひたすらささやかに、意識の共通感覚を持てる方々と、晩年の可能性を見つけることに、一回限りの貴重というしかない人生時間を過せたら、という思いです。

幸い、昨年の入院以来、自分の身体に対して気をつけるようになったせいかはわかりませんが、この数年では最も身体の調子がよく、身体が動く(意識が動く)ことの幸せを噛みしめています。還暦の自分の身体の手入れをしながら、人の参加があるかどうかはわかりませんが、少人数でも身体を動かしたり、声を出したりする、教室も始めようと思います。

ありがたいことに、もともと思春期からいろんなことに感動したからこそ、このような人生になったわけで、いまだに感動するばねのような精神は、時代に左右されず健在です。私らしい事を企画し、表現し、経済的には貧しくても、夢を共有する他者との豊かな人生を送りたく思います。

学校の勉強はそっちのけで、小さいころから生きて存在していることに対して、漠たる不安感を感じつつ、世の中に出てなんとか人生を送ってまいりました。世のしがらみを生きてゆく中で悩みつつもギリギリの生活の中で多くの方に助けられながら、なんとか還暦まで生きることができました。

ようやくまっさらな心もちで、再出発できる時間が、私の人生に訪れたこと、ありがたいことです。これからは、いわゆる晩年ライフを私らしく生きて、この年なればこその企画が出来る間は、今しばらくじたばたと生きることになるかと思います。今後ともくれぐれもどうかよろしくお願い致します。

ともあれ、この二年半ブログを立ち上げてくれ、更新を続けてくださったY氏、この場を借りて深く感謝します。心よりありがとうございました。お陰さまで、意識を集中して書くということの、苦楽を見つけることが出来ました。

最後に、この私ごときの拙文を長い間読み、間接的お付き合いをしてくださった方々に、お礼を申し上げ囲炉裏通信の幕を閉じたく思います。


福島南相馬の風景


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