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2012-03-29

藤原新也さんのWMを読んで思う

藤原新也さんのWMは本当に読んでいるといろんなことを考えさせられる。WMの読者でない方にはどのように伝えたらいいのかわからないのだが、読者の方と、新也さんの思いの意見のやりとりが掲載され、それが実に文明の恩恵をこうむりながら、物事を深く考えることもなく生きてきたのだなあ、という思いに私をさせるのである。

一言でいえば、新也さんのWMの読者は、真摯に今という、簡単には言葉化できない(ひとくちに瓦礫という言葉ではくくれないくらいに、瓦礫の中には被災された無限の個々人の記憶の集積があるのだということの、何と言う重み)文明の、ある種の病と、それぞれの方が、向かいあっている、そのことが伝わってくる。

とりあえず、私もしばらくは新也さんと同じように、瓦礫という言葉を使いますが、先月遠野にゆき、そこからバスで釜石に向かい、大槌と箱崎で、わずか2日でしたが、瓦礫の撤去をしました。スコップやつるはしで。そこ住まわれていた家の方の生活の歴史の詰まった、品々が出てきたとき(携帯電話や、写真や、家計簿、鍋などの調理具etc)なんとも言えない気持ちにおそわれました。

そんな気持ちに自分がなった時、来るまで時間がかかったけれども、現地を体感できたことは、このブログを書きながらつくづく行って良かったと思っています。またゆくつもりでいます。私も新也さんのように、ピンポイントでしか関われません。

私は還暦を迎えたばかりですが、何と言うのでしょうか、この度の大震災、分けても原子力事故以後は、歴史的大転、文明の末世的危機の、今まさにその渦中を、われわれは生きざるを得ない、生きているのだという思いにゆき着きます。

さてそこでどうするのかということ、そのことをささやかに、基底に据えて考えながらこれからの人生の時間を、今を生きる真摯な方々の声に耳を澄ませながら、一日一日大切に歩むしかないというのが、今の気持ちです。

ところで、出たばかりの藤原新也さんと、石牟礼道子さんとの対談集・なみだふるはな・読みました。何度か、眼がしらが熱くなりました。

生涯、手元に置いておきたい、一冊の本です。やがては、宝石のような本に囲まれて暮らせれば言うことはありません、が、今しばらくはじたばたする、自分自身から逃れられそうもありません。



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