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2012-03-29

遠野Bセンターでの時間

釜石でお昼をごちそうになった

大槌でがれきをかたずけるボランティア





よもやまさか、還暦初日を遠野のボランティア(以下B)センターで迎えようとは思いませんでしたが、結果はそうなってしましました。

それも岡山からはとても遠い、遠野からバスで一時間以上かかる岩手釜石の大槌というところと箱崎というところで、わずか2日でしたが、瓦礫の撤去をすることができました。

このよもやの、わずかの経験はおそらく今後のこれからの人生のベーシックになりそうな気がしますし、すでにその兆候が戻ってからの暮らしに現れているように思えます。日中夢が原で働きながら、繰り返し遠野での出来事が思い出され、私のごく普通のなにげない暮らしが、ひときわあり難く感じられるからです。

遠野のBセンターの合宿所での3日間は、青春時代に逆戻りしたかのような、いきいきとした時間をたまたまそこに偶然居合わせた、Bに全国から参加されていた老若男女と持つことができ、それはたんなる物見遊山の旅とは異なる、私にとっては特別な時間となったのです。

それは、人間とは温かく、困っている人に対してこんなにも、その人なりの動きが出来るということに関しての素朴な驚き、発見以外の何も出もありませんでした。そしてそのことは還暦を機に、すべてのこれまでの自分の歩みを再点検しようと考えている私にとっては実に大きな気づきを与えてくれたのです。

これから晩年をいきいきと生きてゆく上での希望の根拠のようなものが、意識の隅に植え付けられるような経験時間を持てた、遠野時間。

それにしても、国外からも(アメリカ、カナダ、またアフリカガーナから里帰りして、
Bに参加している日本人の方とか)Bにされていましたし、失業している方、フリーターの方、人生を再考している方(私もそれに含まれる)リタイアしご夫婦で参加されている方、毎週一度参加を続けておられる地元の方など、ともかく今も総勢80名近い方々が、長短に関わらず、志を持ってBに参加されていました。

どんなかたちにせよ、その人らしいやり方で、東北の今回の被災地に足を運び、何かしらを直接感じるということは、同胞として大切なことだと思います。

囲炉裏通信は間もなく終わりますが、また何かが始まる予感も感じます。演劇とは出会いであるという、言葉が沁みます。遠野では人間の素晴らしさとの出会いがありました。

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