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2012-03-29

想像力枯渇の恐ろしさ

私もそうだが、これからの還暦以上の世代は、おそらく多くの方が、如何に生きるかということに、おそらく物事を真摯に考えておられる方は、思いを致して居られるのではないかと思う。東北の想像を絶する大震災から、昨日一年がたった。

私は働き、家に帰っても一切TVも見ず、ただ冥福を祈り、一人静かに過した。経験しないことは、身体が感じないという限界感覚、だがあれから一年、かすかに何かを感じる自分がこの年になっても、育ってきつつあるのを、今、私は感じている。これは自分にしかわからないことだが、そこにしがみつくしかないというのが、今の私の現実だ。

いきなり話は変わり、個人的なことですが、私が生まれた生家。4歳から11歳まで過した(父の仕事の関係でその後住んだのは、高校の二年間)私の過去の思い出の幼年期から少年期の、いわば黄金時代を過した生家が、跡形もなくなり無味乾燥などこにでもある、アパートに昨年なった。

かって存在していた、記憶の思い出がいっぱい詰まった家がなくなるということのなんという寂しさ、父母が丹精して育てた、樹木や植物の一切が跡形もなくなるということの、無常感。

娘たちが育ち、私はようやく落ち着いて物事が考えられる年齢と、あれほどに欲していた自分時間というものが以前より増えた日々がようやくにしておとずれている。

そして今考える。この私が生きてきた、戦後67年の中での、私の60年という時代はいったいどのような時代であったのかということに関して、個人的な反省、内省、検証、をしたいという思いが強くなってきている。

家族の幸福、モノの豊かさや、成功、経済成長神話。私が世の中に出てから、42年故郷の生家のまわりの風景は一変してしまった。故郷に帰る度に喪失感におそわれた42年間だったと言っても過言ではない。

人間は記憶の生き物である。その大切な膨大な記憶の風景(あらゆる思い出)が無くなるということは、何を意味するのか。東北の被災地の方々がこれから先、消えることがなく抱え込まざるを得ないあらゆるトラウマ、喪失感を思うと、言葉がない。

人間とは何か、どう生きていったらよいのかわからないまま、世の中に出て、42年。いまだ私はどう生きるべきか、良いのか、悪いのかを、この度の震災を機に、再び考え続けたく念っている。

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