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2021-07-03

未知の世界の水先案内人、土取利行さんと古希を目前、二人だけの語り合いを立光学舎で持て幸福感につつまれました。そして想う。

先週の土曜日、岐阜は郡上八幡の立光学舎に住む音楽家土取利行さんにお会いしてから、早 一週間が過ぎた。時はまさに川のように、一瞬たりとも止まらず流れゆき、まさに久しくとどまりたるためしなし、である。だがわずかでものおもいを籠めて打っておきたい。

1978年、(1977年夏から1978年末まで私はロンドンに住んでいた)ロンドンはヤングヴィックという小さな劇場で世界的な演出家ピーターブルックのユビュ王という作品が上演されているのを、タイムアウトというピアみたいな情報誌で知った。

ロンドン郊外の北に住んでいた私は(一人の未亡人が住む一軒家の一部屋に間借りしていた)地下鉄ノーザンラインのスタンモア駅からテムズ川を超えたところにある劇場へと、即向かった。シェイクスピアが生きていた時代のグローブ座に近い場所にヤングヴィック座はあった。

二十歳過ぎ、RSC(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)がワールドツアーで日本公演 に来た際、夏の夜の夢を演出していたのがピーターブルックであり、たまたま私はその舞台を日生劇場で観ていた。

舞台には白い衝立がコの字型に在るだけ。何か所かに隙間があり、そこから登場人物が出入りする。舞台上の両脇の高いところにドラムのセットが老いて在るほかにはセットらしきものは、ほかには何もない。まさに裸の舞台。その白一色の裸の舞台には明るい照明。最後までその証明は、夏の夜の恋人たちのドタバタに近い見せ場のシーンでも変わらない。開演を知らせるブザーもならない。いきなりに二台のドラムセットの音がさく裂し、芝居が始まる。若かった私はその演出に度胆を抜かれた。

シェイクスピアの上演史の中でも、いまだにひときわ語り継がれるほどにまさに画期的な演出の 舞台、ピーターブルックという名前が、私の中に刻まれていたのでヤングヴィック座に向かったのである。

驚いた。な、何と そのユビュ王の音楽を生でドラムセットを演奏していたのが、日本人土取利行さんであったからだ。怖いもの知らず、楽屋に土取利行さんを訪ね、その夜食事をご一緒したのが奇縁の始まり。氏の口から紡ぎだされる未知の世界の、とくにアフリカやインドや中近東の未知の国々の音楽文化、非西欧圏の国々の物語は、若い私を魅了した。わずか2歳年上でしかないのに、私などとは比較できないほどに数段落ち着いていて、今と違って当時は、本当に修行僧のように寡黙な印象であったが、内には言葉にならないマグマのような情熱がほとばしっていた。

 あれから40年以上にわたって、土取さんは本拠地をパリに移したピーターブルック国際劇団の音楽を担当しながら、パリと日本を往復しながら多岐にわたって独自の、一言ではくくれない人類にとっての音の旅探求を続ける稀人ななのである。

土取さんと出会って43年、一方的に勝手に、こちらの都合のいいように関係性を持続しながら、現在に至っている。

私の場合古希を目前にして振り返ると、何と多種多様な出会いの結果の、まるで見果てぬ夢の集積の上に今があるのだということを実感する。縁などという言葉ではは言い表せないし、使いたくもない。若いころの特権、背伸びできるときに背伸びして、ジャンプできるときにジャンプ、細い華奢な弱い頭と体で身の丈に余る行動をし、だが探し求めたからこそ、私は土取さんに出会えたのだと得心している。

俗物としての私は、土取さんの多岐にわたる活動の純粋さの一部しか、理解できていないことを、どこかで深く理解している。だが、何故か土取さんは私を引き付ける。私の中の何かと響き合い感応する。出逢ってから43年、今に至るも土取さんは私にとって未知の世界への水先案内人であることを、あらためて痛感した。外見は年相応だが話題は常にいま情熱を傾けていることに終始する。

先週、立光学舎で二日にわたって、二人だけの語り合い時間は、(同時代を呼吸できたことの幸運と喜び)私にとって至福のひとときとなった。出会ったころに比すれば随分と語り合える自分がいたし、ますますこれからは氏のお仕事をできる限り近くで、可能な限り感じたり、聞き届けたりしたいという気に私はなっている。

6月末の立光学舎、設立して34年、当時植えた樹木が大地に根付き、周りは水田、学舎のひろい窓ガラスからの長め、緑の鮮やかさにしばし私は心を奪われた。まさに氏と語り合いながら夢の世界を揺蕩っているのではないかとのおもいにいざなわれた。お告げのように思い立ってきてよかったとの思いが全身を満たした。

氏との語らいの中見は、今後の私のこれからの時間の中で、折々五十鈴川だよりを打ちながら、でてくると思う。とてもではないが書ききれないほどの中身の濃い時間が流れたことだけは、しっかりと打っておきたい。

お別れ、松田美緒さんとのコラボ、亡くなられた近藤等則さんとの新宿ピットインでの1973年の幻のコラボ他、4枚の貴重極まる自主レーベルで創ったCDをくださった。土取利行さんはこれからも、未知の世界の水先案内人である。

コロナ渦中、ひとり立光学舎で演奏し、歌い録音機材を買って、埋もれた歴史上の青空詩人の讃美歌なども録音している。(ユーチューブでもアップしているので聴いてみてください)私は生で聴くことができた。長くなった、本日はこれで。


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