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2021-07-23

2021年、東京オリンピックが開幕される朝に想う。

 朝焼けの雲が美しく窓から望める。本格的なこの数年の異常気象ともいえる夏の暑さはまだ始まったばかりである。そのような中、今日ごり押しオリンピックが開幕する。(一部の競技はすでに始まっている)

第5波のころなの、先行きの予断を許さない猛威の中での 、まさに歴史的なパンデミック渦中での大会の、始まりである。ただの一人の庶民として想うのだが、いちいち打たないが、あまりにもの大会関係者、政治家のお粗末さ、コトバの内実の伴わない軽さ。正直日本人の一人としてあきれ果てている。(その報道が瞬時に世界をかけ回る、お恥ずかしい)

こうも理念とかけ離れたオリンピックが開催されるその歴史的出来事を、可能な範囲で、真逆な意味で、冷静に、これからの大会期間を、初老凡夫としてはどこかあきれ果てながらも見守るにしくはない。

私はスポーツがどちらかといえば虚弱体質で、小さいころから苦手であったことが起因しているのかもしれないが、勝ち負けを競う競技にはあまり関心が持てない。勝者が表彰台に上り、国威発揚の場になり、メダルの色を命がけで戦うオリンピックには、どこかで生理的についていけないからくりのようなものの匂い(気色悪さ)を感じている。

だが矛盾、誤解を招くかもしれないが、政治的利害、経済格差、国境を超えた、人間性人柄、お国柄が競技の中で浮かび上がる、表情やしぐさの中にコトバ化しえない感動が伝わってくるその瞬間をこそ見てみたい。(人間的に勇気のある素晴らしい選手の存在は伝わる)日本人選手の活躍だけを応援する愚は、もう私にはない。人間のオリンピックでなくてなんの祭典であるのか。

(忽然と話が変わるが、大谷選手がなぜあんなに人の心を打つのか、その答えはコトバにはできない。ピュアな表情や振る舞いは、全人類、特に子供に伝わるのである)

このようなことを打ち始めたら、切りがなく打たないといけなくなるのが、わずかでも打っておきたい。まさに異常事態が発令されている最中で開催される今回のオリンピックは、どう考えても、やはりどこか漫画チック、異常であると個人的に感じる。

コモンセンス、常識とはかけ離れたデジタルによるVR世界が 、まるでリアルワールドであるかのように出現し、私を含めた国民のほとんどは、画面を通してしかヴァーチャルでしか、編集された一方向のオリンピックしか、見ることができないという、不条理極まる、無観客での、かってない歴史的な大会を目視することになる。

初老凡夫としては、この大会が何かの黙示録にならないことをひたすら祈るばかりである。時の為政者は、過去のオリンピックを数々政治的に利用してきたが、今回のコロナパンデミックは、皮肉にもそのオリンピックの水面下のあまりにもの魑魅魍魎、奇妙奇天烈さをあまねく天下に、白眉にさらし露呈した、気がしている。(その点はコロナの効用とでも呼ぶしかない)

国民の大多数が、こころになにがしかの不安感や閉塞感を抱えている状況下、脳天気にオリンピックを楽しんでいられるような時代ではないことを、五十鈴川だよりにしっかりと打っておきたい。

ウガンダの選手が、オリンピックを利用して日本に職探しに来て叶わず、母国に送還されたが、世界の多くの国々の人々が日々生活している苛酷な現実や困難を、ささやかに生活している初老凡夫としては、見過ごせない。

数字化できない世界の民のかなりの人々は、オリンピックを楽しむどころではなく、日々をいかに生きるのかに、必死なのである。まるでこれでもかと繰り返し繰り返される映像と音響によるヴァーチャル画面での、ワンウエイオリンピック、何か言葉かしえない不気味さを、私は感じる。

厳戒態勢の中での祭典、検査検査の手続き会場、ヒトのいないスタジアム、選手村その周辺のあまりの真夏の静けさ、あらゆるおもてなし交流は中止。

大会関係者、選手にもコロナ陽性者が増え続ける。でもオリンピックは始まっている。アスリートは何を賭して金メダルを目指すのか。何のための、誰のための、オリンピックなのか。違和感がぬぐえない。

 


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