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2021-07-04

土取さんに奨められたほんの一部が手元に届き、ゆっくりと読み進もうと想う朝。

郡上八幡への旅から帰って、土取さんに奨められた御本を岡山市の図書館で探してもらった。何冊かはあるということだったので、取り寄せてもらい、その本が届いたとのお電話を昨日、いただいたのですぐに図書館に向かった。

賀川豊彦さんの本が3冊、(死線を超えて、キリスト教入門、一粒の麦)添田知道さんの教育者(全6巻の3巻だけがあった、一巻だけでもすごい)それと、絵本塾から出ている手島圭三郎全仕事という本(これまたすごい、凄すぎる)。

土取利行さんに奨められた本のあらかたは、岡山市の図書館では閲覧できない作品がほとんどではあったが、それでも一度に借りるには十分すぎるほどの本を借りることができた。

賀川豊彦さんと添田知道さんの本は古い本で、変色しており文字が小さく、読むのが難儀しそうだが、読めるうちに読まねばという殊勝な気持ちになっている。

他にも勧められた青空詩人の本など多数あるのだが、高い山に登るように、休みながらゆっくりと読んでゆきたい。本を読むには、その本と出遭うタイさいミングがあると痛感する。当たり前のことだが、読みたいと思わなければ、一ページたりとも読み進めない。

この一年以上のコロナ渦中生活と、はじめての手術、退院後の生活で、あきらかに読む本の傾向が変わってきたからこそ、土取さん推薦の本を素直に読みたくなったのである。

時間を決めて、一日に少しずつなめくじのように読み進むつもりである。賀川豊彦さんの【死線を超えて】は昨年秋、突然土取さんが我が家に来られた際教えてもらい、何とか探して上下巻読み終えたのだが、古い本ではなくPHPからあたらしく再版されていたので、再読する。このような純粋極まるキリスト教徒が存在するのかと驚かされた書物である。

話は変わるが、縁あって読んだ、中村哲先生、須賀敦子さん、佐藤優さんの御本、まったく内容は異なる世界だが、どういうわけか私が引かれる著者には、キリスト者が多い。常に神と対峙しながら生きておられる(た)。

私の中にも山岳信仰的な、故郷の山河への、絶えず帰依しながら回心し、目にに見えない存在に手を合わせる澄んだ気持ちは、老いと共に深まっている。人類、生物、我々はどこからやってきて どこへ向かうのかという まさにスフィンクスの永遠の謎。若い時は肉体のうずき、老いては精神のうずき、いずれにせよ生きていることは永久の疼きとの葛藤である。

特段の宗教者や哲学者、文学者ではなくても、普通の生活者の一人として、素直に先人たちが苦悩の果てに築いた文字や音楽、絵画芸術他で表し遺した、珠玉の未知の作品、いまだ私の知らない世界に出遭いたいのである。交信し、更新したいのである。

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