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2021-07-17

梅雨が明け、静かな夏の朝に想う。

 梅雨が明け、いよいよ暑い夏がやってくる。そしてオリンピックがこのコロナパンデミック渦中、ごり押し開催される。だが変異し続けるころなの猛威の先行きは、以前としてようとして出口が見えない。

もうすでに、いい意味での人生時間の大部を過ごせた私には、あらゆる日々報道される事象、出来事、ニュース等が、どこか遠くに感じられるのは老いているからなのだとの自覚がある。

 だから、うかつな発言や、身に余る手に負えないことに関しては、老いの沈黙に身をゆだねるにしくはない、との苦くもどこかであきらめにも似た気持ちで、日々自分の生活をしっかりと送るに務め、足元から遠くの国を眺めるかのようである。

多分おかれている立場や、人生年齢で限りなくオリンピックに対する意見、評価、考えは全くといっていいほど異なるに違いない。正しい、絶対性はない、無数の星のように無数の真実があるだけである。世論調査というものが、度々報道され微妙に変化するが、いったん始まったら、あっという間に世論は変化する。人間という器は節操がない。(私のことです)

変化するのは世論だけではない、私自身も変化する。だから老いの身とはいえ、不確かな自分というものを、どこかで懐疑的に生活する術のようなものを、思惟する力を持たないと、きっと後年流されていたのだと、悔いることになるのではと危惧する。だが危惧ばかりしていても致し方ない。

だから早い話が、 よくはわからないことに関しては五十鈴川だよりでは、ほとんど触れないようにしている。もっと書けば、老いとともに生きる関心事は、コロナ以前の自分とは全くといっていいほどに変化しているからである。もうほとんど私の関心事は、現世にはないのである。(だがかすかにはある、だから考える)

このコロナ渦中生活中での初めての手術入院で、そのことはよりはっきりくっきりとしてきた感がある。たぶん手術入院しなければシェイクスピア遊声塾を閉じることは、しなかったのではないかと思う。

あまり五十鈴川だよりを読み返すことはしない私だが、(変換ミスが多い、でもいいのだ、わかる人は分かる)術後順調に回復しても、退院後よたよたとつづった五十鈴川だよりを時折読み返しては、今在る生の営みの何という有難さかと、なんてことはない日常生活が沁みるのである。

一寸先のことは神のみぞ知る。だがこの足りる感覚さえ失わなければ、もうしばらくの間、つつましくもシンプルに動ける自分との対話を、五十鈴川だよりを打ちながら、送れるのではととの淡い期待がある。 

期待は自分にするものである。そのうえで世代を超え、世界観や感性を共有できるような方と共に、(身近であれ遠くであれ)これからを生きられれば、それでいいとの覚悟が、コロナのおかげで醗酵してきたのである。

若いころ、(とくに18歳から20歳まで、イギリス遊学を思いつくまでの3年間)未熟を絵に描いたような私は、何の 自信もなく(いまもだが)八方ふさがり、四面楚歌のように日々を送っていたが、それぞれの年代で一つ一つ、苦手なことや降りかかった困難をクリアするたびに、ささやかな自信のような手ごたえを自分の中に見つけられたからこそ、生き延びることができたのだと思える。

自分の体に(命に)期待すること以外、ほかにすがるものなかったし、数少ない巡り合えた友人や、大切な人に支えられて生きている、いられるのは現在も変わらない。

自分という存在が、宇宙のちりと化した時に、おそらく世界は消滅し、母なる大いなるコトバ化しえない静かな闇のなかにきっと帰依してゆくのだと、先の手術入院で得心した。(ように思える)

得心したり、達観したら、五十鈴川だよりを打たなくてもいいのではという気もするが、そうはいかないのは何故か。私自身にもわからない。わからないからこそ、面白いのだ。身体は川の流れのようであらないと、澱むからである。(悩み問題意識を持ち続ける)体の細胞が日々更新しているからこそ、命は存在する。大いなる命をいただいたのも、ハムレットふうにいうなら神の摂理である。

老いゆく時間は、これから苛酷さ、酷薄さヲ、(生の真実を)私に突きつけるだろう。私にだけではない、全世界の万人の老いゆく人たちに。だから、ずいぶんと水気のなくなりつつあるわが体をいたわりながら、身近な大切な存在を大事に歩まねばと、今朝のおもいを打つ五十鈴川だよりである。



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