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2021-06-17

昨日、アンネフランクのドキュメンタリーをBSNHKで見て想う。

わが心の五十鈴川本文とは関係ありません

 昨日午後、再放送NHKでアンネフランクのドキュメンタリーを見た。名女優、英国が誇るヘレンミレン(26歳の時この方の舞台を私はロンドンで見た)が時折日記を朗読する。若い現代の女性がユダヤ人が送られた先の収容所を訪ねながら、ついこないだの悲惨というか言葉を絶する歴史を案内する。手にはスマホを持ち、時折友人にメールを送りながら。

奇跡的に収容所 を生き延び、当時は子供であったが、今は高齢化した数人の女性が悪魔時間としか言いようのない収容所体験を語る。一人の女性の左腕に彫られていた刺青の数字の四桁の番号が初老凡夫の私の眼底に焼き付いている。

多分 そのことが、私に五十鈴川だよりを打たせている。ブログでは詳細の内容を打つことはかなわないにもせよ。もし自分がそのような状況にある日突然放り込まれたら、と想像すると慄然としてしまう。

私は、過去の悲惨極まるホロコーストや、ジェノサイドの歴史をきちんと学んでこなかったという自責の念が、最近年齢を重ねるにしたがって強くなっている。

朝から、論旨に脈絡のない五十鈴川だよりになってしまうが、広島長崎の無辜の民の上に投下された人類初めての核爆弾による、瞬時の虐殺、東京他日本の各地の無辜の民に落とされた木材家屋を焼き尽くす雨あられの爆弾の数のすさまじさ、まさに人間を虫けらのように殲滅する、正義の側の人間の所業、なんとも言葉の虚しさ、しかない。

梅雨のさなかの午後、アンネの日記のドキュメンタリー を見終えておもうのは、遠い国の悲惨な歴史上の出来事では決してないという、厳然たる事実である。アパルトヘイトは言うに及ばず、今も続くウイグル族やチベット、黒人や黄色人種への、偏見や差別の問題のあまりの根の深さには、言葉を失いながらも、言葉にすがって五十鈴川だよりを打つしかない。

憎しみの連鎖、ヘイトの連鎖、大坂なおみ選手がSNSで発信する勇気を、初老凡夫も学ばねばと思う。各人各世代、老若男女、ユウチューブの動画であれ、方法は無数に個人個人の心にある。ヒトとして当たり前に生きられる権利を侵すものには声を上げなければと、小生は想うのである。

地面に頭を踏みつけられなくなって亡くなった黒人男性を、たまたま居合わせたスマホの動画で撮影し、全世界に発信した方の勇気。たった一人の行動アクションの影響の大きさを思う時、SNSを使う人間の良心こそが運命を左右するのだと思い知る。

ファクトチェックという言葉があるが 、洪水のような情報の中から、信頼できる発信者の声に耳を澄ます努力をしなければ、流されてしまうと痛感する。自由とは何か、生きるとは何か、コロナ渦中生活はまたとない考える時間を与えてくれている。





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