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2021-06-12

術後、お酒を飲まなくなり、お酒を口にしない生き方をされている土取利行さんに、とても会いたくなっている梅雨の朝。

 三月の頭、思いもよらぬ緊急手術入院、退院から間もなく3ヶ月が過ぎようとしている。五十鈴川だよりを読んでくださっておられる方はご存じだと思うが、順調というほか言葉が見つけられないほどに、体重がもとに戻らないほかはまったく以前と同じくらい回復している。

誤解を恐れずに打てば、お酒を全く飲まなくなり、甘いものも極端に控えるようになったせいなのかどうかは分からないが、野菜中心のつましい食事で以前よりもずっと健康になっている、とさえいえるのではないかと思えるほどに、身体の調子がいいのである。

量的には大したことはないのだが、50年近くお酒を口にしていた生活態度の負担が、頑健ではない身体の肝臓他の臓器にたまりにたまっていたのだ。(まさにちりも積もれば、である)ほぼ100日、アルコールの類を一滴も口にせず、こころを入れ替えたかのように(オーバーですが)品行方正というか、逆に言えば面白みのない人間になったかのような、以前とは比較にならなほどの、生活変身ぶりである。

身体に蓄積していたあらゆる膿を取り除いていただいたおかげで、精神の膿のようなものまで取り除かれたかのようなあんばいなのである。日常無意識に依存していたのだなあ、との反省認識。あの横たわっていた時間に思い知った命の尊さ、かけがえのなさ、有難さ。

子供のころはお酒を飲まなくても、とくに何もなくても十二分に遊べたのに、大人になるにしたがってお酒ほかの、世間の大人の社会時間を過ごす中で贅沢になり、欲望のおもむくままに勘違い、見失っていた遊び心を、想うのである。

キィを打ちながら、古希を前にない頭を絞り、五十鈴川だよりを打ちながら夢想する。こういう老人子供帰り遊び時間を共有できる同年代と遊びたいとの思いが日増しに増してくる。

できるだけ、小さいころの食生活の原点に還った生活を心かけることにし、限りなく余分なものを取り除き(情報も含め)、風通しの良い老いゆく身体時間を過ごしたいのである。その為にいかに生きるのかを、退院後私は考え続けている。

DNAで受け継いだ外見性格ほかは変えようがないが、生きてゆく方図は、自分自身でいくばくかは変えられるのでは、との淡い期待を育てたいのである。

これ以上打つと論旨に脈絡がなくなるのでやめるが、 25歳でロンドンで出会い、多大な影響を受けた土取利行さんに、術後とても会いたくなっている。土取利行さんはお酒を口にしない。半世紀以上音楽家としてこの困難な時代を、独自に多岐に分け入って探究、畏怖する方である。

お酒をたしなまなくなって、まだ間がない私だが、お酒を飲まずに話がしたい相手として、土取利行さんは今私が一番お会いして、話を伺いたい方である。

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