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2021-06-23

【加藤陽子著、戦争を読む】を読みながら、学ぶことの大切さを痛感する。

いま、加藤陽子著、【戦争を読む】をカタツムリのようにゆっくりと読み進んでいる。ご存じかとは思うが、加藤陽子さんといえば一方的に学術会議への参加を今の政府から拒否された6人のうちのおひとりである。 M新聞に月に一度連載している、加藤先生の近代史の扉を、私は勉強するつもりで、切り抜きながら勉強させていただいている。実は戦争を読むという御本、ずいぶん前に買っていて、いつか読まねばと思っていたのである。図書館が長く閉じていたので、本棚に眠っていた御本を手に取り、じっくりと読み始めたのである。 コロナ渦中生活で、私自身が一番変化したのは、とにかく本をゆっくりじっくりと読むようになったことである。本を読む速度が遅い私なので、限られた範囲での読書しかできないが、もし本を読む楽しみがなかったら、とてもではないが体と精神のあんばい加減がおかしくなっていたに違いない。 さて、戦争を読むという御本は、日本政治史を(主に1930年代を中心に)を専門にされている先生が、1988年から2006年にわたって、新聞、週刊誌、専門雑誌などの媒体に書かれた、主に戦争を論じた書評集である。著者渾身の御本なのである。私にとっては、思考の羅針盤として手元に置いて、繰り返し読んで学びたい本なのである。(本の奥付を見ると2010年とある) とてもではないが、私にとってはあだやおろそかには読めない類の御本なのである。もしコロナ渦という事態が出来しなかったら、と考えるとまことに忸怩たるものが生じてくる。あきらかにこの一年以上のコロナ渦中生活で、私の読書の範囲は些少とは言え、広がったと感じる。 以前だったら、手にしなかった分野の本(私にとっては手ごわい専門性の高い本)も意識的に読んでみようとの思いが、動くようになってきたのである。幸い加藤先生は本は友達と公言されておられるほどに、小さいころから文学他の本も多読されておられるので、政治思想史の御専門とはいえ、読者のことをおもんぱかって、私のような無知蒙昧の市井之徒にも分かりやすく読める御本なのである。 だが、内容目配りは広く昭和史の奥深くに静かに分け入ってゆくたぐいまれな書評となっている。膨大な知の卓見が述べられていて、ご紹介されている綺羅星のような本を、私は生きている間にすべて手にし読むことは叶わないだろう。だが、わずかではあれ、読みたいと思わずにはいられない本の数々を先生は紹介されている。人生は短くとも、限られた時間、珠玉の本を手に旅したいものである。 加藤先生は1960年のお生まれ、私よりも8歳もお若い。つくづく、少年老い易く学成り難しとの言葉が沁みる年齢になってきたが、あまり年齢のとは気にせず、気の向くままに、信頼に値する碩学のご紹介の本に学びたい。 話に脈絡がないが、若くて素晴らしいお仕事をされている研究者、学者がこんなにもおられることに(もちろん今は亡き方の御本も含む)どこか安堵してしまう。学問ノススメ、加藤先生のような人材を締めだしてしまう政府の横やり介入は、未来を暗くする懸念がある。 【戦争が廊下の奥に立っていた】渡邊白泉(1913~1969)と。いう俳人が詠まれた句だが、この俳人のことも書評で知った。知る悦びは、老いをしばし忘れさせる。

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