ページ

2021-06-07

コロナ渦中生活、静かに中村哲先生の御本を読み、勇気をいただく。

 6時間熟睡して目が覚めたので起きた。午後9時以降はよほどのことがない限り体を休めるようにしているので、テレビはまずほとんど見ない。術後退院してそれはより一層顕著である。

目も耳もすべて閉じて、眠りに落ちるまでの、いわば 沈黙のひと時を、以前にもまして大切にしている。間接情報、やたら歓心と欲望を刺激するCMが多いテレビは、見なくなって久しい。

とはいっても、先日のNHKのドキュメントのように、作り手の職人魂と出演者の魂が、溶け合い呼応する、私にとって想像力 を痛く刺激するような番組、力が湧いてくる番組も、多くはないが、あるので油断はできない。

だがあだやおろそかには時代の趨勢、風潮には、ちょ、っと待てよ、と唾する感覚は失いたくないと自戒するのである。批評感覚を失ったら単なる祖父さんと化してしまうおのれが怖い。

だが古希近くまで何とか生きてきて、いよいよ思うことは、風まかせ、風流、風情を頼りに、老いゆく身体が少しでも喜ぶような、お金に頼らない気持ちの良い時間を過ごしたい、と術後一段と思うようになってきたのである。だがただ韜晦して、結果時代に迎合してしまうかのような祖父さんになるのはご免である。

先に来日し、サッカー日本代表 とたたかったミャンマーの選手が、3本の指を立て軍政に抗議の意思表示をしていたが、大勢に流されず自分の考えをきちんと意思表示する、できる老人でこそ、私はありたい。

先日も書いたが、たった一人とは考えず、世界に存在する(ビジョンハッカー世代のような)老若男女良心ある方々、仕方がないとは考えない勇気ある人間と連帯したいのである。

ペンは剣より強いと想う。そのことは時代に安易に迎合せず、暴力にも迎合せず、体一つで、アフガニスタンの悲惨極まる底辺民衆に寄り添い、見て見ぬふりをせず、分け入り、寝食を共にし、行動し、奇蹟の前人未到の用水路を成した中村哲先生の遺された、書物の記録が物語っている。

50代目前、たまたま、当時無名であった中村哲先生の御本を読み、その あまりの真摯さにこのような九州男子がいまだ存在することに、私は大いなる勇気をいただき励まされた。

そして今、コロナ渦中自粛生活、時折中村先生の御本を手にし、静かに生活したいと想うのである。


0 件のコメント:

コメントを投稿