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2020-01-24

還暦を迎えた、妻の誕生日の朝に想う。

妻の誕生日の朝である。出逢って34年、年輪という言葉がよぎる。これまでの人生の中でのあの日の出会いは、はやはり特筆すべき出来事であったのだということが、この年齢を無事に迎えることができて、あらためておもう。

あのとき、吉祥寺のビデオシアターで(そのようなものは今はない)ヒッチコック自作を語るという映画館に、お互い足を運ばなかったら、現在の自分はなかったであろうから。

このような出来事は、後々もっと時間が流れ頭がしっかりとしていたら書きたいとは思うのだが、やはりいくら面の皮が厚くなってきたとはいえ照れる自分がいる。(ので控えめに)

臆面もなく書くが、妻との出会いは何か運命的な流れを私に感じさせる。もしも妻との出会いがなかったら、二人の娘に恵まれることもなかっただろうし、その後の人生を想うときに、出会いの神妙さに粛然としてしまう私である。
妻は私を猫のように家に置いてくれている(きがする)

当時青年期を過ぎて、人生の折り返し地点、途方に暮れるくらいの情けなさを生きていた私にとって、現在の妻との出会いは、思うに福音という言葉が一番ぴったりくる。運命。

もうこれ以上今朝の五十鈴川だよりでは書かないが、 一言でいえば、妻との出会いで、伴侶としての妻の存在のおかげで、劇的に私の人生は変わり、その後の人生を豊かに歩み今を生きている。

ある種のかそけき感慨に初老男の私がふけるのは、やむなしというほかはない。どのような方でも子供が巣立つまでには、山あり谷ありの一時を夫婦というものは共有するだろうが、妻の存在なくして、とくに私のような輩はこのような今の穏やかな、五十鈴川だより時間などは持てなかったであろう。感謝の言葉しかない。

振り返ると、経験したことのない、安定した新しい別世界に、足を踏み入れたかのような妻との(子供たちを含めた)家族としての暮らしは、平凡という非凡さ、穏やかな時間というものの有難さ、かけがえのなさを教え、知らしめ私の人生に与えてくれたのである。

そして想う、いよいよこれからが大切、夫婦二人しての、黄昏行く人生時間をいかに生きるのかを問い続ける勇気を持ちたいと。

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