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2019-02-05

亡き父の命日の朝に想う。

父の命日の朝である。還暦から半ばを過ぎ、微妙に体がある意味で衰えてくるにしたがって、心の中は、私の場合だが、何やら今のところいい感じで推移というか、落ち着いてきた感がある(ように思える)。

特に幼少期から小学生からにかけて、私は落ち着きのない子供であった。5人兄姉弟の中で、どちらかといえば多感な異端の子供であったと、今にして思う。

このような私の性癖を見ぬいた父は、親子鷹とまではいわないが、それはそれは子供心に怖い厳しい父親であった。

子供のころには、怖い父親という印象しかなかったのだが、いま振り返ると、時に優しい父親の思いでも蘇るのは、私が老いてすべてを、良き思い出として美化しているからかもしれない。

父親のことを思い出すと、朝のブログではとても書ききれないが、この年齢、父が亡くなった年齢に近づいてくるにしたがって、父親の抱えていた責任感の重さ(北朝鮮から母兄姉と命からがら引き上げ、裸一貫からの家族の長として)ようなことがわずかだが感じられ、もし生きていたら、晩年の父と語り合いたかったと、いまは思うのだが、かなわないのが、世の常である。(だが想像はできる)

話は変わるが、何が書きたいかというと、あの怖い父親なくして、現在の私はないということだけは 確かである。

戦後世代の父親とはまるで異なる、戦前の教育を受けた私の父親は、子供心にそれはそれは怖い父親であったが、今の時代そのような父親は嘘のようにいなくなった、(気がする)。闇の深さ、畏怖するほどに怖い存在感のようなものが失われた世界は、どこに向かうのであろうか。

父親が生きていたら、今の時代の空気感の中でどのように居場所を見つけて、生きるのであろうかと想像する。
椎名誠さんが私は大好きである

晩年は、ひたすら囲碁を打ち、旅をし、菜園づくりくらいの世界の中で、静かに暮らしていた父の面影が私の中で蘇る。

まるで出家でもしているかのような、静かなあまり他者と交わらない落ち着いたというしかない、暮らしぶりを全うした感がある。

さて、いよいよこれから、亡き父が過ごした時間を私も生きなければならないのだが、どのように生きていったらいいのか、と今は亡き父と想像の中での対話をするほかはない。



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