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2019-02-03

のらりくらりと、独楽、独学時間を大切にしたい真冬の朝。

個人的な事だが遊声塾を始めてから、わずかな時間ではあるが、毎月一回父が使っていた硯で墨をすり、主にシェイクスピアの言葉を書いている。

墨をすって文字を書くなど、小学生の時以来だったのであるが、今も続けている。五木寛之氏もどこかに書いていたと記憶するが、九州人タイプというのがあるかどうかは知らないが、移り気的、または飽きっぽいということをお書きになっていた。

私などまったくそうであると、深く認識している、(がささやかに持続しているものもある)そのような自分ではあるにせよ、何とかこの年齢まで生き延びて、現在の暮らしができていることに関しては、言葉の持ち合わせがなく、深呼吸して何かに感謝するのみである。

話は変わる。自分でもどこか傲慢なところがあるといった自覚がある。少年期から思春期にかけてろくすっぽ学ぶということをせず、ひたすら遊び惚けて(映画だけはみた)世の中に出て、私は初めて井の中の蛙という言葉を、真の意味で体で知った。

以来、自分の感覚や直観に頼りながら右往左往、何とか独学志向(思考)で現在を生きている。演劇学校や、劇団他、時間的には短くても様々に体験した仕事や、あらゆる社会的生活の中でかろうじて身に着けた、あらゆる全生活体験が、今現在を支えている。(ように思える)
井上ひさしさんの御本も声に出したい

自己弁護するわけではないのだが、どこか傲慢でないと、いろんな意見や情報に振り回され この年齢まで生き延びることは叶わず、どこかで安易に妥協して(それはそれでいいと思うが)事なかれ主義的な散漫な人生を送ったのではないかと、想像する。

人は失敗し、間違う、摂理である。そこから何を学ぶか学べないのかが、その後の、またはこれからの人生を左右するといっても過言ではない。迷いながらも判断し決断するほかはない。思えば、人生は綱渡りである。いつ何時谷底に突き落とされるか、を人は予知しえない。

私などいまだに間違っているし、間違っているのではと問い続けている自分がかろうじている。初老の厳冬期は私に内省を迫る、独学ならぬ独楽時間を大事にしたい。





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