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2019-02-16

いよいよもって一日の時間の過ごし方を大事に考える土曜日の朝。

昨日軌道修正のことを書いたが、またもややんわりとだが、一日の時間の過ごし方を少し変えないといけないのではないかという気がしてきている。

時間は一定不変、歳を重ねるにしたがって、自分でいうのもおこがましいが、中世夢が原退職まじめな生活にシフトしてきたし、ますます落ち着いて静かに暮らしたいという自分がいる。

これにはこの6年間の様々な要因が連鎖し、重なってきてこういう感情が生じてきているのである。孫の望晃くんの生誕が、やはり一番大きい(気がする)。

次に、妻との時間の重さへの深まり、それとこの夏次女が結婚することになり、ささやかに父親としてやるべきことを、きちんと滞りなく進めること。

それと母のことがある。母から誕生日に短い一文をいただいた。(考えさせられた)幸い母は今年の5月に86歳になるのだが、いまだひとり暮らしを立派にこなし、我が家にも自転車にのってやってくる、元気である、元気で自立そのことがまずは何より素晴らしい、母との時間のこれまた重さへの気づき。

家族を先ず基本にしっかりと落ち着いた暮らしを特に優先することにし、そのうえですべてのことを見直し、時間の過ごし方を緩やかに再検討しつつ暮らしてゆくことにした。

図書館で本を読む時間は至福時間である
まず、家族のための生活力のキープ、次この6年続けているシェイクスピアの音読、続けるにしたがってもっと深く学びたいという自覚が以前にもまして深まっている(独学の楽しみ)。

そこに、この2年間弓を学ぶ、時間が加わったので結構ギリギリの感の強い、ある意味でもう少し余裕のある時間の過ごし方をしないと、身体が持たないのではという、どこかにある種の不安感を抱えながら過ごしてきたのだが、思い切って弓に割く時間を減らすことにした。

レイさんとの機縁で、この二年間弓の稽古に取り組めたこと、その時間が持てたことの重さは、取り組んだ私が一番よく自覚している。(立って歩くことにとても自覚的になった)

だが時間は一定、あれもこれもはできないという厳然たるじじつの前で思考する。シェイクスピアの言葉の音読の延長で、3月24日(年~7・8回)からどなたでも参加可能な輪読会を 始めるので、いよいよもって限られたこれからの時間を有効に悔いなく過ごしたいという方向にシフトしてゆくことにした。

弓の素引きはひとりで自室でできるが、シェイクスピアの塾と音読会は、ささやかな私自身の今やいきがいである。

これから先、まずは家族のために、私が生き生きと存在することこそが大事なのである。何かに熱中することで、家族に影響が及ぼすようなことは避けなければ、との思いが優先するようになってきたのである。

それと、今回の帰省旅がやはりなにかを吹っ切らさせたのだと思う。あきらかに極めたというとオーバーだが、父の先祖に今も暮らす素敵な人たちと出会えたことで、おぼろげながら、人生の終点がかすかに感じられてきたのである。

望晃くんの生誕が、私の老い方に火をつけたのは間違いない。家族含め近しい方々との人生時間を大事にしながら、シェイクスピアの世界観を音読し、(主にルネッサンス以降の世界の歴史中世以降の日本の歴史を学び)いろんな翻訳で日本語を学び・・・。などと思うにつけ、限られた時間の重さを想うのである。

まずは古希までの これから3年間の時間の過ごし方、五十鈴川だよりを書きながら、折々自問自答したい。

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