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2018-06-20

歓喜の熱狂と自戒する静けさの共存。

AIの予想では、ワールドカップでは日本はコロンビアに負けるとの予想が新聞に出ていた。人間は機械ではない、奇蹟を生み出しうる血と汗の器なのである。

結果は、日本の勝利。意外性があるからこれほどの熱狂的な歓喜に列島がつつまれるのだろう。また地震ほか、日本列島をおおうあらゆる閉塞感や不安を、瞬間払しょくされる幻のようなものに、人間の感情の琴線が爆発したのであろう。

かくゆうわたしも、昨夜は年齢を忘れ感動した。目に見えぬチーム一丸となってのエネルギーに、勝利の女神がほほ笑む。物語は結末の意外性こそが、ヒトの
を打つ。真剣勝負が生みだすミラクル 、これこそがドラマの神髄というしかない。敗者と勝者の光と影。

まさに人間は時代と共に、時代の中でうごめいて、世代を超えてかなりの日本列島の大部分が、酔いしれたのだろう。私はサッカーなるスポーツの奥深さには無縁な輩だが、豊かなる国も、貧しき国も、代表選手はまるで選ばれた戦士のように何かに殉じボール追う。

純粋な行為は国境を越え、ヒトの胸を打つ。大迫選手ほかみんな逆境を乗り越えて手にした選手たちの顔は、初老の私にも深く刻まれた。若い選手たちの、長谷部キャプテンはじめ、シャイな、何たる奥ゆかしさ 。

表面からはうかがい知れない、日本人としての矜持が随所に感じられ、西野監督の手腕にも脱帽した。耐えて勝つところに、古い頭の私などはしびれる。うたれても打たれても、じっとあきらめず、ここ一番に賭ける。

九州人の私には鹿児島出身の大迫選手の活躍が、ひときわうれしかった。愛郷心のようなものが、私には色濃く在って(それが私の欠点でもある、お許し願いたい )時折絶対矛盾にさいなまれる。

戦争の中シリアの個人の本を集めた図書館の記事
M新聞は書評がいいのでとっている


ところでいきなり、いつものように話は変わるが、夢が原リタイア後、新聞を以前に比べたら、じっくり読むようになったことは何度も書いている。(時間を集中してまとめて読む)

熱狂とは程遠いが、私にとっての琴線に触れるような記事に出遭えるのではないかとの淡い期待があるからである。

そのような記事を見つけると、元気になるので、手間がかかるが努めて切り抜くようにしている。何度ももうやめようと思うのだが、五十鈴川だよりを書ける間は、気分転換(自分を鼓舞する)もかねて 続けようと思っている。

だからなのだ、私がフェイスブックもツイッターもしないのは、(単に苦手なのであるが)初老の私には残された時間がないのである。自分が心から望むことを先ずは優先するしか、ほかにないのである。

限られた紙面、歓喜の報道や大きな事件に、紙面の多くが割かれているが、あまり報道されない世界の多分野の人類にとって大事な、小さな記事に目を止める感覚を、熱狂の翌日自戒する私である。



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