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2018-06-12

【戦争の大問題】という丹羽宇一郎氏の御本を読みつつ考える。

おそらく今日の米朝首脳会談でメディアの報道は、かなりの時間を割くことになるだろう。(歴史を真摯に学ぶ必要をこの歳になって痛感する)

最近年齢のせいか、近現代史、特に明治維新からの劇的な国の形の変貌のさなかを真摯に生きた人々に関する書物、150年間の時代の推移を教えてくれる歴史的な書物、昭和という時代の変遷、特に戦前と戦後、同じ昭和でありながらの軍国主義から民主主義180度の転換、私が生まれてからの物心がつくまで間での書物に、重きを置いて手にするようになってきた自分がいる。(もう私には知る時間が限られている)

なぜなのか?当たり前のことのように 一見穏やかにに過ごせている今が、ややもするとある日突然、瓦解してゆくような、そのような恐ろしき直観的な不安を、個人的に持つからである。(その不安はとくに東北津波原発事故大震災から徐々に増えている)

先の大戦で生死をさまよい、軍人一般人を問わず 当時を生きた人々が超高齢化した現在、私より一回り上か、それより上の世代でお元気で仕事をされている方々が、まさに遺言を手渡すかのように、真摯に熟考、論考を重ねた本が私の眼にとまる。(目を凝らせば素晴らしいお仕事の御本が目に留まる、アーサービナードさんの本なども)

私の中に在るアンテナが、それらの本を呼び寄せるのは、明治生まれの曽祖父母、大正生まれの両親と、その時代の教育を受けた、またはその時代の空気感の中で身に着いたものの見方や考え方を、小学生(戦後の貧しき我が家では、全員保育園も幼稚園も言っていない)になるまでに共に過ごし色濃く受けた影響があるからではないかと、この頃とくによく考える。そのことは、本日は割愛する。

いま、丹生宇一郎という方の書かれた、【戦争の大問題】というまさに遺言書ともいえる本を読んでいる(半分以上読み終えた)のだが、今という時代状況のさなかでの、戦争の愚をこんなにもわかりやすく、論理的、実証的な論考に、舌を巻いている。

一企業人、経済人として頂点まで経験され、民間から初めて中国での大使まで勤められた方の、御本である。若い時から伊藤忠商事のお仕事で数々の修羅場を経験され、企業のトップになられてからは、もっと大変な会社のかじ取り判断決断、経営者としての修羅場を何度も経験されたかたの御本である。そのような経歴の方が、このようなタイトルの御本を今出されるのが素晴らしい。


先の大戦で、陰惨極まる飢えの地獄ををくぐられた 、あのもうわずかとなった、シベリアやフィリピンほかの戦場体験者の方にも、直接お話を伺っている。(あのような情況に置かれたら、人間は狂うしかない)

読みやすく、分かりやすく、何よりも説得力がある。このような方が(知性力、人間力)国のトップとして、国のかじ取りをしてくれないと今の政治家に(ということは、我々国民にも大きな責任がある)任せていたらこの国の行方は、危ない。暗澹となるのは私一人ではあるまい。

あらためて思う、知ることの大切さ。相手を知る(歴史文化、内在的論理)という勇気を持たないと、偏狭なナショナリストに堕してしまうのである。

もうそのような時代ではない、(自分ファーストではまずい、他者と自分はつながって存在する)と私個人は考える。あらためて自分も思考のパダイムシフトが必要である。

もう一冊、澤地久枝さんの御本。これは敗戦時、澤地さんが14歳の時の体験が見たまま、感じたまま、あの高齢での記憶が生々しくつづられている。

ヒトは、なかなかに悲惨な体験であればあるほど、語れないものだということがよくわかる。澤地さんがあのご年齢になられたからこそ、書けたのであろうと感じ入った。

理不尽、不条理、一個人としてものを想える間は、五十鈴川だよりの中でつづりたい。





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