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2018-06-27

第五回、リア王の発表会まであと10日、そして想う。

いよいよあと10日でシェイクスピア遊声塾の第五回目の発表会、リア王である。何度も書いている、61歳で無謀にもシェイクスピア遊声塾なるものを立ち上げ、丸5年が経つ。

一口に5年、よくもまあ継続がかなったものと、この時代の趨勢の中で一番驚いているのは私自身である。7月からは塾生が7名になる(ますます楽しくなる)。

驚いているのは、新聞社の取材が先週の水曜日と今夜と2週連続で飛び込んできたことデアル。今夜は遊声塾のレッスンの日なのだが、その前に取材が入ったのである。(もちろんレッスンも少し見学される)

これまで一度テレビ局が取材に来たことがあったが、じっくりと私自身が取材され記事が掲載されることは初めてなのでうれしい。

新聞記事になるなんてことは、塾を立ち上げた当初考えたこともなかったので、小さな記事であれ、シェイクスピア遊声塾という名前が、紙面に出るということは、記者の方が関心を持たれているということであり、ただ単純に田舎の姉貴や、兄貴に現在の私の活動を知ってもらえるのが、私にはうれしいのである。

夢が原退職後、一念発起、何かまっさられな気持ちで、これまでの企画者としての自分とは、決別する覚悟で、新たなる出発という心持、気概で直観的に始めた塾である。

つましい暮らしの中、おかげで瞬く間に充実この上ない時間をこの5年間過ごせた、その一区切りのリア王の発表会である。6月からは水曜日に加え、日曜日の夜も任意でのレッスンを続けていて、かなり細かい人間の真理の襞の壁に少しでも迫るべく、塾生と言葉の格闘をしている。

闇の中を手探りするように、綱渡り感覚で、この年齢でのわが体と 格闘するのであるが、言うは易し、生半可な声出しでは、シェイクスピアの言葉に弾き飛ばされる。

それくらいに、シェイクスピアの書いた登場人物たちの言葉はエネルギーがあふれている、貧血気味の現代人、初老の私の体は、酸欠状態に陥り悲鳴を上げる。
シェイクスピア作品と巡り遇えた幸運に感謝するほかはない

それは塾生も同じである。このような苦行の塾に参加されている塾生は、言葉遊びではなく(受苦生) ともいえる存在である。

苦しい酸欠になりながらの、山登りにも似た声出し塾が、シェイクスピア遊声塾のレッスンなのであると、発起者の私自身があらためて思い知らされている。

シェイクスピアの言葉を声に出し続けてきたおかげで、わが体と心はその珠玉の言葉に磨かれ、鍛えられ、健康である。インプットとアウトプットのバランスが実にいいのである。

私の場合の晩年の心身の穏やかさ、健康の持続のために始めた遊声塾の思い付きは、当を得ていたのだとの確信に変わりつつある。必死に言葉と格闘する塾生の姿は、老いてゆく私に尊い感情を呼び覚ます。久しく忘れていた、子供に還ったかのような原初的な喜び。

息を吐いて音に出し、劇詩人シェイクスピアの言葉(の素晴らしさ)と格闘し、しがみつきながら、今この世のここに生きて在る、自分という存在のかけがえなさをどこかで認識、肯定する、その実感を私も塾生も求めている。


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