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2018-06-16

息苦しき時代の閉塞感の中、泰山木のそばで声を出す。

元気で過ごせる人生の残り時間を想うとき、努めて今日という日を可能な限り、有意義に過ごしたいと、孫に恵まれた今年は、特に強く念じて過ごし始めている。(ような気がしている)

だからといって、もって生まれた資質は、頑迷固陋さを増しているかのようなあんばいで、亡き父にますます似てきているかのような、自分を感じる。

晩年の父は、ひたすら碁を打ち、盤上を眺めながら、ほとんどの時間をすごしていたからである。孤愁の人、というのが晩年の父の姿である。

大正一桁生まれ、ソウル師範(跡地は今のソウル大学)を卒業し、戦前母とは写真見合い結婚、若くして共に今の北朝鮮の新義州で、二人して小学校の先生をしていた。

長女と長男は、新義州生まれ、敗戦で命からがら引き上げてきた。亡くなる数年前、地方紙に26回連載された、私の笊碁人生という小冊子が私の手元にある。

何度か折々読み返すのだが、思春期から父と対立ばかり、繰り返してきた私だが今無性に父と話がしたい思いにとらわれる。(だから空想で対話するしかない)平成も間もなく終わる。

突然アメリカに占領され、与えられた、戦後民主主義教育を受けて育ってきた私だが、その寄って立つところの足元が大きく揺らぎつつある懸念を、日々の暮らしの中で感じつつ暮らしている。

感じたからといっても、特段に私に何かを物申せることは思い浮かばないのだが、せめてなんともならない、衛星超監視カメラ 時代の息苦しい閉塞感を何とか気持ちよく生きるための、方図をうるには?いかに老いるべきか否か、と我が身に問うのである。

ともあれ、梅雨の晴れ間、運動公園で天の下裸足で朝の声出しを やっていると、こころが晴れ晴れと、天空と一体化する。青い空が蟻のようなわが姿を見据えている。

ふと私の大好きな、かなり大きな泰山木の樹が目に留まる。真白き花もかなりが枯れているが、大きな葉っぱがつやつやと輝いている。

大きな木のそばで声を出していると、不思議と気が休まる。心が休まる場所を日々の暮らしの近くのどこかに見つけておくことは、私にはとても大事である。

(パソコンの調子が悪く本日は写真お休みします。文字だけでご容赦ください)

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