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2018-05-04

わが心のふるさとから帰ってきました、ささやかに思いを記す。

昨日夕方、五泊六日、わが故郷への旅を終えて帰ってきた。

時差ボケではないのですが、身体は帰ってきたものの、こころはまだ旅の余韻が残っているといった按配の体。

とりあえず、何かを書きたいのだが、何せ密度の濃い旅だったので、グダグダと長くつづりたくなってしまう性を抑えて、今朝は取り急ぎ簡略に。

往路復路、結局高速を私が久しぶりに運転しての帰省旅を無事に終えることができた。28日夕方北浦のきれいな海(五十鈴川と同じくらい心が和む)で一休みして兄の家に5時過ぎ到着。義理の姉が夕食の膳を整えていてくれた。(カツオの生の刺身が旨かった)

翌29日は朝いちばん妻とお墓参りを済ませ、(望晃くんの生誕を両親に報告)朝食後姉長兄夫婦と共に、兄の友人が監督を務める高校野球の練習試合観戦、その後は兄夫婦と私たちで秘境西米良を山越え、お隣の熊本県まで山越えドライブを楽しみ、(視界を移ろうの山の緑が沁みた)知らなかった国宝の青い阿蘇神社に詣で、秘境五木の子守唄で有名な五木村を訪ね、温泉に浸かり、五木村にしかない名品の豆腐ほかの特産品を求め、再び山越えをし高千穂へと抜け、陽がとっぷりとくれるころ門川に着いた。運転はずっと兄がしてくれた。

30日は、終日オフ門川で過ごした。妻と二人買い物、 門川神社からいつもゆく五十鈴川へ。誰もいなかったので川につかり沐浴をし体を清めた。午後姉夫婦としばしの語らいの時を過ごす。姉は私より9歳上、大陸からの引揚者、天真爛漫、私にとってはだいじなひとである。

山本作兵衛氏のおおらかなユーモアに感服した

夕刻、私が小学6年生の時一年間だけ通った美々地小学校(いまは廃校)の同級生T氏がわざわざ私の顔を見に遠方から会いに来てくしばし歓談。(このことについてはまた書きたい) 夕食は兄夫婦と外食。

5月1日、朝6時半、兄、次兄夫婦と我々6人で福岡は田川市に在る【石炭・歴史博物館】へ。一路高速で向かい昼食を済ませ昼過ぎについてゆっくりと展示に見入る。目的は世界記憶遺産で有名な、一度はみたいと思っていた山本作兵衛コレクション、(この驚きも時間を作っていつか書きたい)次に向かったのが、一代で財を成した石炭王で有名な【伊藤伝衛門の旧宅】、朝ドラで有名になった柳原白蓮も住んでいた家。部屋数25、庭もすごく、当時の職人が粋を凝らした、筑豊の今となっては宝のようないわば必見の価値ある文化財である。

この日は、昔からの温泉地である華鶴温泉のホテルに投宿、着いたのが5時チェックインし、すぐに男兄弟湯につかる。6時半から全員で和気あいあい夕食、久しぶりに深酒、酩酊、すぐに眠りの世界に。

翌二日、雨の中9時半チェックアウト、大刀洗飛行場 跡地に立つ、全国から当時集められた少年航空兵たちの展示施設をおおよそ二時間弱ゆっくりと見学した(日本人としてこの施設を知らなかったことが恥ずかしかった)
兄と姉夫婦(兄が高校生の時によく食べていたという、民家のラーメン屋)

その後雨の中、高速を走らず、熊本の三国町で昼食を済ませ、そこから大分の竹田を抜け、延岡から高速に入り門川へ着いたのが午後5時半。

一度解散、夕食は兄の家で、次兄がいただいたクロダイと珍しい岩ガキ(うまれて初めて初めて食べたが絶品)を持ってきたので、炭火で義理の姉の登紀子さんが、焼いてふるまってくれた。また登紀子さんは、クロダイをイタリア風のアヒージョにしてくれたり、お味噌汁にしてくれたり、和え物ほかすべての晩餐(サラダや何品も手早く)をこしらえてくれた。そのすべてが美味しかった。長兄は果報者である。

私が、兄の家に安心して里帰りできるのは、この義理の姉の存在が大きい。気兼ねなく泊まれるからである。たまたま兄と血縁者になったことで出遭えた姉、この関係性を私はこれからますます大切にしたい。

実の姉夫婦は参加できなかったが、3組の晩年夫婦で記憶に残る良き旅が実現できた。この場を借りて、この度をアレンジしてくれた長兄次兄 夫婦に感謝したい。つたなくはあれ、わが五十鈴川だよりに、わがささやかなる幸福感を記しておく。







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