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2018-05-19

雷雨の翌朝、リア王の言葉を裸足で声に出す。

昨夜、雷の音を聞きながら、雨と強風の嵐の荒野をさまよいながら、天地に向かってすさまじい狂気の呪いの言葉を吐き続ける、80歳リア王の姿を、暗い部屋で横になって想像しながら過ごした。

睡魔がきてやがて眠りに落ち、5時過ぎに目が覚め、洗面を済ませコーヒーを飲み、雨上がりの運動公園までリアのテキストをもってぶつぶつ言いながら歩いた。体が徐々に起きてくる。

運動公園に着いたら、いつものように裸足になり、深呼吸を繰り返し、おおよそ一時間嵐のシーンから始まるリア王の3幕の主に長台詞を、リアの台詞以外の登場人物のセリフも声に出して読んだ。

30分も声を出し続けていると、ゆるやかに雑念が消え、セリフが体になじんでくるのがわかる。7月7日の発表会まで、何とか少しでもセリフが自分の体の腑に落ちるところまで、こぎつけたいと、五里霧中のなか繰り返し声を出す、私にはほかに方法がない。

現在66歳のわが体で、80歳の老王の実の娘たちに裏切られ、酷薄極まる仕打ちに対するリアの狂気を伴った呪いの凄まじい悪口雑言を朗誦することは、限りなく難しい。
運動公園から帰ると盛りのバラが迎えてくれる

だが、80歳になったからといってリアがやれるわけのものでもない。今、リア王という作品を、声に出してやりたいと思う私がいる。そのことが一番私にとって大切である。

ほんのわずかでもいいから、リア王の言うに言われぬ、実存的な痛みや悲しみを表現するためには、 声を出しながら、ああでもないこうでもないと、両足で地面を踏みしめながら、声を出すしかないのである。
 
組めども尽きせぬ普遍的名セリフの数々、突然リアは絶対君主から、無一物、不条理な世界へと放り出される。

400年以上前に書かれた作品であるが、リア王で描かれている不毛ともいえるほどの、愛
と憎しみの連鎖は、現代グローバル化世界を いかんなく照射している、と私には思える。





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