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2018-05-15

リア王の素読をしながら、今日の風がわが体を吹き抜ける。

18歳で世の中に出てからというもの、せっかちに生き急ぐかのように、背伸びしながら生きてきた感が否めないわが人生であるが、ようやくにしてゆっくりとしか歩くことしかできなくなった今を、どこか醒めた感覚で味わいながら生活して居る。

本を読めるおかげで、何やらいまだ何げない日々が、新鮮に感じられるのは、手前みそだが、おそらくそのように生きよう感じようと思う衝動が、わが心のうちに健在であるからなのだと、思うことにしている。

何度も何度も書いているが、今日という日は今日だけなのであるから、なるべくは曇りのない体で、世界を感じたいのである。あるがまま、わがままに。

昨日は昨日、今日は今日の風が、わが体を吹き抜けてゆく。その体を吹き抜ける目に見えぬ風をどこかに感じながら、その風に我が身をゆだねたいのである。
今年も見事に開き始めた我が家の蔓バラ

朝から小難しい思考はよすが、今やわが五十鈴川だよりは、ささやか思考だより、といった感無きにしも非ずという体をなしてきているなあ、といった気がする。

自分のあずかり知らぬところで、自分というのは変化し続けているのだというありがたい驚きがある。(だから生きられる)

今朝も運動公園で、リア王の素読をしていたのだが(素読というのは、全登場人物のセリフを声に出して読むということ)4幕の頭の登場人物のエドガーの言葉が、いつもより新鮮にわが体に響いてきたのである。

【悲しい運命の変化は最高の絶頂からはじまる。最低のどん底からは笑いにいたる道しかない。とすれば目に見えに風よ、喜んで抱きしめるぞ、おまえにどん底まで吹き飛ばされたおれはみじめなおれは、もうおまえを恐れる必要はないのだ】

繰り返しの反復、言葉を出し続けていると、ある日突然、思いもかけぬニュアンスの言葉がわが体から出てくることがある。だから面白い、続けられる。


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