ページ

2017-04-29

朝一番、徳山道場に弓の稽古に出掛けました、そして思う。

朝一番、徳山道場にゆき、一時間半一人で弓の稽古をしてきた。早朝だったので、ほかにはどなたもおらず、とてもいい時間を過ごせた。弓は自分の存在と向かい合う世界である。

弓を始めたことで、どういうものか、声を出すことも、笹や孟宗の根を採る開墾、手鎌での草刈りなどの、根気のいる私にとっての仕事(という感覚でやっている)にも、良き影響が出てきている。

 今朝ラインを見たら、レイさんから4月22日のブログを読みましたと、あった。義理の息子が、しかもドイツ人である息子との機縁がもたらしてくれた、弓の世界。

弓を通して、義理の息子との会話が今後ますます深まってゆけることが、初老の私には、はなはだもってうれしいというしかない。

K氏にいただいた記念すべき弓は、今の私の力ではしばらくの間眺めるだけで、引くことは叶いそうもないので、れい君にあずかってもらおうかと思っているくらいだ。
みごとに修復されたK氏にいただいた弓

 ともあれ、とうまく言葉では表現できないのだが、徳山道場に通い始めてから、生活に何か一本張りが加わったことは間違いない。そのことが初老の私にはうれしいのである。

日本の伝統的弓の世界には、まったくといっていいほど無知な私だが、これを機会にわずかではあれ、弓の世界の奥深さ(伝統の良き世界を)を学んでゆきたいと思っている。

そのためには、とにもかくにもわずかな時間ではあれ、口を動かして声を出すように、弓をひく反復繰り返しを続け、可能ならなにかを見つけたいと念じる。

私が弓を始めたことに 刺激を受け、何と妻が水泳やピアノのレッスンに出掛けるようになった。夫婦共々の晩年時間がにわかに充実してきて、お互い忙しくしている。妻との仲も君子の交わりでありたいものだ。

老いの迎え方は各人各様だが、 生の終結点であるお迎えの死を、いかに受け入れるかは、今後の一日一日の過ごし方いかんに、左右される。悔いなく生きるためには、悔いなく一日を過ごす。命は日々生まれ変わってゆく、春の薫風を浴びに、午後は妻と母と3人でデートをしようと思う。

0 件のコメント:

コメントを投稿