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2017-04-24

共謀罪について考える、ジャーナリスト斎藤貴男氏の講演期にゆきました、そして考える。

昨日午後、岡山弁護士会が主催する、共謀罪に関する、ジャーナリスト斎藤貴男氏の講演会に出掛けた。長くなるので端折るがいってよかった。

安全保障法が強硬に可決され、日本ペンクラブも含めた、多分野の、私もよく知る信頼できる方々が声を上げて 反対するその共謀罪の何たるかを、一庶民の一人として学びたかったからである。

この法案も含め、なぜ今、私のような浅学菲才、ぼんくらには、良くはわからない共謀罪なるものを、まして法務大臣でさえ、野党の追及にしどろもどろになるような法案を、急いで可決しようとしているのか、本能的に一個人として不気味だからである。

今朝の毎日新聞の山田孝男編集委員も 、2面の風知草で取り上げている。くどくどと書くのが、恐ろしくなるくらいに、このような法律がまかり通るような近未来社会が、私の眼が黒いうちにやってこようとしている、と思わざるを得ない恐ろしさを秘めた法案である。

今日の新聞の世論調査では49パーセントの人が共謀罪、テロ等準備罪に賛成しているとある。ブログ、五十鈴川だよりを書くものとして、無所属一個人として、この共謀罪法案には、異をとなえることをきちんと書いておきたい。

今の法律でも十分対処できるものを、あえてこのような有無を言わせないような法案を新たに作り、国民を萎縮させ、あげく疑心暗鬼にさせるような、国家、官の命令に従属させかねない、限りなく自由が遠ざかりかねない危ない法案。
横写真でごめんなさい。

まかり間違えば戦前に回帰 してしまうかのような、可能性のある法案には、繰り返すが一人の人間として声を上げねばと、考える。つくづく考える力を身に着けたい。

無所属一個人の私としては、すぐに軍事的暴力に頼る可能性を持つ法案には最後まで考えて、考える力でもって行動し、このように書いて発言するしかない。私の常識は、戦前の教育勅語教育を受けた父親の反省におうところが大きい。

(小さき声を大事にしたい、貧しくとも暖かき心を持ち続けたい)弱い者いじめは決してするなとか、人に迷惑をかけるなとか、当たり前のことばかりである、今その当たり前感覚を持てない時代が到来しつつあるように思うが、時代の趨勢に飲み込まれない、あっぱれな人たちも多数いらっしゃるのは救いだ。絶望したら負けである。

よく目を凝らして、新聞を読んでいると、心ある方々はきちんと共謀罪の恐ろしさを指摘している。かのうならいろんな新聞を読み比べたいのだが。

気が付いた時には、冗談も言えないような生き苦しい、監視カメラ、国民総背番号、国民が物のように扱われる未来社会の到来だけはご免である。

いったん決まったら、もう後戻りできない、と心ある方々は指摘している。

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