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2017-04-11

キンカンを収穫しながら、母の知恵の豊かさに、昭和の面影をはっきりとみる。

先週の日曜は、朝一番天神山でロミオとジュリエットの輪読のワークショップをした後、家族で西大寺の水源地で、昼食を兼ねた、お花見ができた。

まさに満開での母、妻、したの娘と 私の4人でのお花見。もう今後、そうはそろって、このようなタイミングでのお花見は難しいだろうから、今年は春から縁起がいいや、といったところ。

天神山から、我が家に向かう道の後楽園の車の、混雑をも含めた賑わいをよそに、西大寺の水源地の桜は、小規模だが人の賑わいもちょうどいい感じで、実にいいお花見と相成った。

(娘がラインで写真をれい君に送ると、怜君からも住んでいる稲城の周辺の桜の写真が送られてきた。れい君は写真が好きなのである)
穴の開いた作務衣を母が見事につくろってくれました

我が家のお花見は、短時間で 終え、母の家の金柑の収穫をした。前日の弓の稽古に行く前、我が家のキンカンも母が手伝ってくれきれいに収穫できたので、母の家のも手伝わねばばちが当たる。

それにしても、キンカンというのは何度も花が咲き、よく実をつける。我が家のキンカンはあまり日当たりが良くなく、剪定が良くないせいで、実が小さいのだがそれでもたくさん収穫できた。

そこで、初めてキンカン酒を4リットル作った。数年前にたくさん作った梅酒がそろそろなくなってきたし、瓶があいていたので作ったのだ。

こういうことを妻も母もあまり飲まないのに、私が作りたいというと、キンカンに楊枝で数か所穴をあけるといった、煩雑なひと手間を、惜しみなくやってくれるので大助かりだ。

何事も手づくりはやはり素晴らしいと私は思う、そのことを私は母から今学べるうちに学んでおこうと思う。母から妻へかなりのことが伝わっているので、そのことをまたつたえられる限り、伝えるという知恵の楽しみのようなものを、見つけたいと思うのだ。

話はそれるが、今年のお正月下の娘がおせち料理を作って私を驚かせたが、私の知らないところで、ゆるやかに成長しているのだが、それはおばあちゃんの力におうところが大だと私は思っている。

またもや話はそれる。リサイクル、リユースという言葉が はやっているが、私が着ている衣服のかなりが手当てをし、再びつくろったものである。穴の開いたジーパン、作務衣、ズボンやセーターなどを、すぐに母が見事なまでに、つくろってくれるおかげである。これがまた味があっていいのだ。オールドニュウファッションである。

初めてのキンカン酒どんな味になるか楽しみ
大工さんであった義父が着ていたズボンやセーターを、いまようやく私が着れる年齢になり、作業着ほかに大いに重宝している。

おそらく、この数十年衣類にはほとんどお金を使っていないのではないかと思えるほどだ。身近に接する存在で母ほど、生活全般に創意工夫を楽しんでいる人をほかに知らない。

それは私が夢が原を退職後、頻繁に接するようになってから、ふんだんに感じるのであるが、逆に言えば、いかに私が消費生活に埋没し、知恵の楽しみを放棄してきたのかの証左だろう。

お金を出せば買えるのだが母は言う、 工夫するのが好きなのだと。義父が着ていたジャンパーなどを私が着ていると、ことのほか喜んでくれる童女のようにふるまう、現在の母である。

古き良き、日本の私の愛する原風景の面影を宿す母である。さかしらな政治家や偽善極まる輩が愛国愛国と、やたらのたまうが、こういう声高に上から目線で騙りかける人間には注意しないとまずい、信用できない。

愛国心や道徳心などというものは、教えられるものではない、上っ面の言葉ではなく、真の意味での根を生やす生活言語を見つけないとまずい。反省できるときに反省しやり直すことだと自戒する。

母の言語は語彙が少ないが、十分に足りていて丁寧に私に語りかける。私自身が試されている。

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