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2017-04-20

桑江良健氏から依頼されていた一文をようやく書きました。

昨年秋、我が家で桑江良健氏の絵がガキサイズの一日だけの絵画展をしました。その際に桑江氏から一文を依頼されました。

年が明け、いつでもいいですよとの言葉に甘え、延び延びになっていた一文を、昨日午後一気に書き上げた。今朝万年筆で清書したので、ブログを書き終えたら投函する。
おおよそ500文字の原稿

桑江さんからはいつも直筆で、はがきやお便りが届く。まさにパソコンでは書けない、手書きの味わい深き一文である。だから私もこのたびの一文は、久しぶりに原稿用紙に手で書いた。

パソコンでも、手紙ででも、私の一文を書きたいと願う私だが、やはり最後は手で文字を刻み付けたいと、念じる。私は肉体を偏愛する。かけがえのない取り換えのきかない身体を。

なぜなら、それがやはり私には一番 しっくりくるし、意識と手が連動し湧いてきた文字が、上から下に自然に流れるからだ。とはいうものの、もう何時書き始めたのかさえ遠くに感じるほどに、長きにわたって囲炉裏通信・五十鈴川だよりを書いていると、どちらも私の一文には違いはないのだ。

深くは言及しないが、筆、万年筆、ボールペン、鉛筆、筆記用具を使って書くのと、パソコンで書いたのとでは、相手の受け取り方は違うと思う。(もちろん私自身の意識も微妙に変化する)

私自身、メールできたのと、手書きできたのとではまったくといってほど、受信感情が違うからである。文字にはいやがうえにもその方の個性が、圧倒的に存在する、気がする。

生のごまかしがきかない、人間性が宿っているし、手間暇かけてさらせるお互いの関係性の信頼関係が成立していてこそ、成り立つ。

これから先、大切な友人や知人とは、緊急の時以外は、筆や 万年筆でお便りをしたためる遊び心を深めてゆきたいと改めて思う私である。

遅きに失したかもしれないとは思うものの、反射神経が鈍くなり、ようやっといろんなことを丁寧にやれる人生の季節が訪れたのだから、これを利用しない手はない。

ゆっくり、ゆったり丁寧に、読み書き、声出し、耕し、ちびっとづつ小さき亀のように生き、出遭えた宝のような人たちと、静かに穏やかに暮らしてゆくのが、目下の私のささやかな願いである。



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