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2015-08-13

大槌町再訪の旅・雑感。


もう何度も書いたことを、繰り返し書いたりすることが歳と共にますます増えることがあるかもしれないが、きわめて個人的な自己満足ブログなので、限りなく寛容なお気持ちで、御容赦いただきたく思う。

昨日の自分とは、明らかに今日の自分は どことはなしに変化してゆかざる負えないのが、私には真実である。そのことを踏まえながらも、どこかしら普遍的な大事なことを、日々忘れながらも忘れたくはないという、絶対的な矛盾をいまだ生きているような感を否めない私である。

さて、3年半ぶりに訪ねた、大槌町のことをわずかではあれ新鮮な思いのうちに書いておきたい。花巻といえば宮沢賢治であることは、熱心な読者ではない私でも知っている。

そこの近くの、遠野という地名の響きは、私の東北のイメージの代名詞、いつか訪れてみたいという気持ちを私の中に育てていた。59歳の時に起きた未曾有の東北津波原発大震災。

還暦を迎えるにあたりこれまでの人生を振り返るには、どこか異境の地で迎えたいというわがままな感情が私の中に、震災後起きていた。そこでたまたま選んだのが遠野だった。

極端だが、意味もなくただ単に遠野への憧れにも似た旅人感覚が、私を初めての東北への旅に導いたのだ。

当時調べたら、遠野に復興を支援するボランティアセンターがあるのを知り、わずかな時間ではあれ(当時まだ私は夢が原で働いていた)何かしたいと思い初めてボランティア活動の地として、遠野からバスで向かったところが(バスで1時間くらい)大槌町だったのだ。

たった二日間の瓦礫の撤去作業ではあったが、これをたまたま 偶然の思い付きで経験できたことは、私の中では今もって大きな個人的な思い出としてだけではなく、意味のある記憶として、しっかりと残っている。

3年半の歳月は、やはり大槌町の印象をまったく変えていた。厳冬期と真夏という違いも大きかった思うが、やはり瓦礫がまったくといっていいほど,なくなっただけで見た目こうも変わるのだ。

昼食をとった大槌復興食堂もなくなっていた。それが当たり前である。夕方ついて翌日のお昼までのわずかな滞在だったが、K氏と会う予定の時間まで、暑い中、私は朝早くホテルに荷物を預け、2000坪の土地に16年間樹木を植え続けておられ、宮沢賢治の世界観を具現化されているごS夫婦が創られた風のガーデンに向かって歩いた。

峠をこえ、鯨山のふもとにある風のガーデンまでたどり着くのに一時間弱かかった。汗が噴き出た。事前にお電話をしていたので、気持ちよく迎えてくださった。

場所が確認できたので、私は風のガーデンでゆっくりする前に、そこから歩いて30分ほどのところにあるという不動の滝にどうしても行ってみたくなった。今も鯨山の麓にあるという、震災前からかわらず存在するまさに不動の滝に。

私は滝に向かっての広い上り道を再び歩き始めた。山の麓の採石場から復興現場に石や土を運ぶダンプカーがひっきりなしにとおる。ダンプ以外、歩いている人間は私だけだ。登り道なので再び汗が噴き出してくる。歩いても歩いても滝の表示はない。

不安になって何回かダンプの運転手に訊いたのだがみんな県外からの出稼ぎの人で、滝のことなど知らないという。ますます不安になり、何回かあきらめかけたのだが、ここまで来て大槌を象徴する普遍的な滝を記憶に刻みたいとの私の思いは深まる。見ないと、今回の大槌町を訪ねた旅がちょっと物悲しい 。

私は意地でも滝に会いたく、足で地面を踏んだ。そうこうするうち山を削る巨大な採石場が視界に入った。動いているのは、パワーショベルやユンボのみ、あとは砕石や土を積むダンプカーのみ。

山を崩して、新しい住宅地や道路や、そのほかいわば復興計画のために使われるのだ。そのために山が大地が、削り取られてゆく現場を私は見た。途方もない面積、機械を人間が動かし、山は削られ無残というしかない姿をさらしていた。

都会に住む多くの都市人(びと)が、このような現場を見たらどのような思いにかられるだろうか。私は漸くダンプカーから解放され、無人の細くなった未舗装の山道を一人歩いた。

採石場から一気に景観が変わった、人間世界から神の世界へ。細い道のわきを清流が流れている。うっそうとした森の中に滝の存在を確信した。あちらこちらに祠がある。

採石場からさほどの距離ではない場所に、滝は在った。歩くこと一時間 不動の滝が見えた。私は再び大槌にやってきて本当に良かったとの思いに満たされた。

私以外は誰もいないし、人もやってきそうもない、汗だくの体を清めるべく裸になり沐浴をし祈ったた。10秒も浸かっていられないくらい冷たいが、身も心も洗われるとはまさにこのこと、清水がしみた。都合3回浸かった、生き返った。神の世界に帰依する沐浴になった。

たった一人の不動の滝沐浴は生涯忘れることはないだろう。大槌町にこんな素晴らしい滝がある、そのことが 私を穏やかにした。

戻りは下り、軽やかな足取りで風のガーデンに戻り、瓦礫の撤去仲間K氏とは風のガーデンで落合った。丹精された花々のなんとも素敵な風のガーデンで冷たいお茶をいただき、Sご夫婦とは短
い時間ではあったが 、気持ちのいい時間を過ごさせていただき、庭を散策させていただいた。

私はこの風のガーデンと不動の滝にはきっとまたやってくるとの思いを胸に秘め、K氏と共に初めて山形に向かった。

次回は、鯨山というなんとも素敵な名前の山に登りたいと思う。ところで大槌で私が泊まったところの地名が吉里吉里だった。あの井上ひさしさんの名作小説の吉里吉里人の。そして大槌町にはひょっこりひょうたん島のモデルになった島もあるということも知った。

きっと井上ひさし氏は何度も大槌町を訪ねたことがあるに違いない。鯨山の頂上からいつの日にか大槌町を眺めてみたいと私は思った。

夕方、山形の天童市に着いた。山形は井上ひさし氏が生まれたところである。賢治、啄木、太宰、井上ひさしさんがすべてお芝居にしている。きっとこれから元気な間、私は東北一帯を繰り返し旅することになる確信が深まる大槌町再訪の旅となった。

(大槌町から山形に向かう途中、遠野の仮設のボランティアセンターにK氏と立ち寄ったが、すべて取り払われ、跡地には夏の雑草が揺れていた、諸行無常だが山は動かじ)

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