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2015-01-05

菅原文太さんの【ほとんど人力】が、今年最初の読書。

今年は会社としての畑時間はすくなくなるのですが、会社の畑地を責任をもって自由に使える農地を一反ほど使えることになり、そこにはどんな作物を植えてもいいということになりました。

私は素人なので、とにもかくにも一年畑で 本気で修業しようと考えています。最低限であれ、なんであれ、やりたいことをやりながら生きて行ければ、もう私には十分なのです。

昨年一年畑に這いつくばってみて、つくづく昔の機械化される前の、お百姓さんたち、つまりはほとんどの過去の日本人たちの暮らしの大変さが身に染みて、初老の私の肉体に刷り込まれました。

確かに肉体的にしんどいことが多々続いた一年でしたが、それをさほど苦にすることもなく こなしてゆける現在の自分自身の肉体年齢もしっかりと確認できましたので、体が動く間は畑で過ごしながら、生計を立てる方策を、考え続けたく思っています。

話は変わりますが昨年亡くなられた菅原文太さんが、俳優をやめられてから農業をされていたことは知っていました。いつの日にかチャンスがあったらどんな農業をされていたのか、また目指していたのかをもっと知りたくなりました。

もし私が文太さんくらいまで生きるとすれば、20年近い時間があることになります。 一年の四季の中で、植えられる作物は限られています。案ずるよりもとにかく植えながら学んでゆこうといまは考えています。よしんば失敗しても、何をして失敗というのか。

農薬や化学肥料を使わないのですから、見た目にいい作物は育たないでしょう。雑草のすごさには途方もなくあきれましたが、雑草とはたたかいません。その中でもネギやチシャトウがそれなりに育つのをこの目でしっかりと確認しました 。

急がず慌てずほとんどは会社と同じチシャトウ(買ってくださる方がいる)を植え、あとは勉強の気持ちで、季節に寄り添いながら根菜類を植えるところから始めようと思います。もちろん家で食べる葉野菜も。

ところで文太さんの遺言ともいえる本【ほとんど人力】を昨日買って読み始めました。各界の型破りな達人たち17人との 対談がおさめられています。深呼吸、そっと世界の行く末に耳をすませます。多分野、虚心に学べます。

対談者17人全員素晴らしい。 そのなかに私の知らない作家の相場英雄さんとの対談があります。工業品化された食品ハンバーグ の話がでてきます。一言恐ろしい。まったく無知の度し難い恐ろしさ。

 国民の命なんかよりも儲かればいいという企業倫理のおぞましいほどの欠如には、唖然とします。

命の宿っていない食品の数々を食べ続けるとどうなるのか、如実にその弊害は薄くあまねく日本社会を覆っているどころか、いたるところで吹き出し始めているのではないのかという認識が私にもあります。命感覚の無い犯罪の数々、心の冷温化。無痛感覚犯罪。

今年最初の本が文太さんの本になったのはやはり、縁があるというしかありません。17人の対談者の中には私が知らない人が5人ほどいました。いずれも 私よりも若い方々です。そのかたがたの仕事が素晴らしい。

そして、その世界の達人たちに素朴に質問する文太さんの晩年の骨っぽさが、なんともしみて私にブログを書かせてしまうのです。無骨に覚悟を決めて生きるすがすがしさ,あやかれるものがある。

今日はお休みですが、ともあれ畑に新年の挨拶に行きます。畑で体幹を鍛え、声をだし、作物ができたら行商をするのが、今年の私の初夢です。自分の中に希望をもつ。ほんの少しからでいいから、命の食べ物を自分で育てる。










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