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2014-11-16

ふと気づけえば、ブログを書き始めて5年が経ちました、そして思う休日の朝。

数ではなく、読んでくださる方がいるからこその五十鈴川だより、なんですがドレスデンへの旅しかり、きわめて個人的な思い入れの強い(いささかナルススティックなほどに)我がブログ、この歳になると、日常記録的な気配が濃厚な塩梅で、流れてゆきつつあるといった趣です。

気がつくと、とうに5年の歳月が、毎日ではないにもせよ過ぎています。以前は何か、毎日のように書くのが、苦しいなかにも愉しかったのですが、今は今のペースで書くのが、流れてゆくのが自分にはいい感じです。

無理せず、しかし可能な限り、日々の暮らしの中でのままならない、自分自身と向かい合う時間を持ちつつ、だれにも邪魔されず、書きつづってゆく朝のひとときを大切にしてゆきたいとの、思いです。

何度も書いているかとは思うのですが、農の仕事を始めてから自分で言うのもなんですが、いい意味で、限りなく煩悩が少なくなり、オーバーーではなく、世の中に出てから初めてと言っていいくらいに、気持ちがおだやかに生活、働いています。

これは、長女が結婚し次女も大学4年になり、限りなく親としての役目が減ってきているそのことも、おそらくは起因しているのだとは思いますが、いまはまだそう自己分析せず、眼の前の仕事や、やりたいことを、しっかりとやってゆきたいと、考える私です。

これまでもそうでしたが、ある程度無心にやり続けていると、次なる展開がおのずと開けてきたような気のする我がこれまでの人生、今でいうところのセレンディピティが起こったというしかないような。

その都度、なにがしかの転機や、節目を経験するたびに、また一から始めるしかないというような事を繰り返しながら、なんとか身過ぎ良すぎの果ての、今の暮らし。

夢が原退職後は、静かに隠居暮らしにあこがれていたりしたのですが、津波災害で遠野から大槌町にゆき、瓦礫の撤去作業をわずか2日体験してから、やはり何かが自分の中でかすかに変化し続けているのだ、という自覚があります。

ささやかに、自分も原点に還ろうと思ったのです。可能な限りのあらゆるリセットを自分に課すということを。還暦は遠野で迎えましたから、来年の2月でまる3年になります。早いというか、ついこの間という気もいたします。

冬は、限りなく精神的に冬眠したくなる私です。内性的な時間が持ちたくなるというのか、季節に添い寝するかのように。雪がしんしんと降りつもる遠野に、丸3年ぶりに出かけようかといま考えています。

共に2日間、瓦礫の撤去をした、今は故郷の山形に棲むKさんから、勤務地が変わったというお葉書をいただきました。わずかの出逢いの中で育まれた、kさんとの無私の関係性。無性にKさんにも会いたくなっている自分がいます。

あれから3年、大槌や箱崎の瓦礫の現場がどのように変化しているのか見たくなりました。元気で行ける間は、繰り返しあの現場をkさんとともに、訪れてみたいと思います。

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