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2014-11-24

小春日和の、初冬の朝に思う。

眼が覚め、さきほど運動公園にゆき、星空のもと、ほんの少し体を動かし、深呼吸し帰ってきた。西の空にはオリオンが瞬いていて、恒例のささやか懸垂は天空を見上げながらした。この歳で、懸垂を続けているのは(わずかな回数です)私なりにいつまで可能かという意味合いがあるだけだ。

以前も書いた気もするが、還暦前、数十年ぶりくらいに、鉄棒にぶら下がった時、まったくできなかったのには、少しショックを受けた。小さいころからどちらかと言えば、虚弱体質で痩せていた私は、懸垂が苦手だった。

そんなやわな私が、初めて懸垂に挑戦したのは、富良野塾に在籍していたあいだ、だ。卒塾してからはまたもや、慌ただしき日々に流されやっていなかった。

富良野で初めて、途方もなくあらゆるすごい肉体労働経験(やわな私にとってです)をすることで、私の精神と肉体は、まさしくかなり鍛えられたのだということを、実感する。

そのことが(やわな自分自身といやでも向かい合わないといけない状況)、富良野塾に参加して一番よかった。その体験は、生きてゆく上での、かなりの自信となり今に至っている。

困難な状況の中で、かすかに自分の中に希望の活路を見出しながら、薄皮をむいてゆくかのように、細心の注意で自己を対象化し、変化するおのれの心と体を確認しながら(時に停滞しながらも)なんとか一日一日、あきらめず、あきらめる、絶対矛盾を繰り返す青春の終わりの日々(今もである)。

この歳で、静かに思うことなのだが、自分にとって最も幸せな日々とは何かということを、いまだ考え続けながら生きている。まだまだ、、訳知り顔的なことはかきたくはない自分がいるし、右往左往しながら生きてゆくだけで、十分ではないかという気もすごくする。

話を懸垂に戻す、できなかったことができる悦びというものを、若いころに経験していると、この歳になってもそのささやかな経験は、肉体的には下り坂ではあれ、老春の悦びを再びもたらしてくれるということを、つくずく感じる。

何事にも3日坊主、根気が続かなかった私の前半の人生は、後半からちょっぴりと根を伸ばし始めた、ように思う。そしてようやくにして生きていることが面白くなり始めた、ように思う。チャップリンがいうように、ささやかな勇気をもって、無謀ではなく、元気な間はまず身体を動かしてから、考える。

若い時にこそ、やれるときにこそやっておかなければならないことが、もちろんあるが、それは本質的には老いてゆくにつれても変わらず、もっといえば、より深めて生きるところにこそ、その妙味があるような気さえ、最近はする。人生至るところに青山あり、なのだ。

今を生きている、自分の自由になる独り時間(大切な他者との時間も)をいかに気持ちよく過ごせるかということこそが、私にとってのこのところの肝要なことだとの、認識。

だから、そのささやかで貴重な時間を、愉快に過ごしたいので、できるだけ私はこれまでの時間の使い方を自省、反省し、静かに土の上にそっと立つ暮らしを意識して心懸けている。

(個人的に時代との乖離は深まるが、若い方々の中に素晴らしい感性の方々が育ってきているのを感じる。どちらかと言えば、自分も含めた同世代の情けなさはいかんともしがたいくらいだ)

土や自然は厳しいが、その中で作物を育て、艱難辛苦を生きてきた無名の、無数の我がご先祖をはじめとする、声なきこえを感知する側に、身を置いて考えてゆきたいとの思いが、まったく柄にもなく深まりつつある初冬の朝である。

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