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2014-10-06

ドレスデンへの旅・4

9月14日(火)は、エルベ川という大河が、私の脳裏にはっきりと刻まれた日となった。ドレスデンはこの河畔に栄えた、そしていまもこの川とともにある街なのである。

怜君がドレスデンに行ったら、是非ともに案内したいところがあると、かねがね私たちに話をしていて、写真も見せてもらったところがあるのだが、そこがエルベ川の上流にあるところだとは、知らなかった。

この日も快晴、全員ハイキングにゆく格好、そのために妻は歩きやすい靴を昨日買ってそれを履いている。いい年を忘れ、遠足気分で何とはなしに最高にうれしい。8時前にホテルを出て、ちょっぴりなれた86番で駅に向かう。

駅の近くの、個人でやっている小さなパン屋さんに怜君が連れて行ってくれる。そこで、いろんなおいしいパンを買い汽車が来る前、ホームで、みんなで食べる。その日の朝焼いたばかりのパンは格別にうまい。

ヒマワリの種がパンの表面を覆っている、まず日本では売っていないパンを私は求め、食べ始めたのだが、なんともはや、噛みごたえがあって、しっくはっくしながら食べたが、おそらくもっと歳を重ねたら、歯が立たないかもしれないと思いながら、慎重に噛み砕いた。

やはり挑戦してみる価値のあるパンの味であった。ゆっくりゆっくりかみ続けているとなんとも言えない味が口の中に広がってうまい。ただただ、食べるのに時間がかかるパンだった。(又必ずドレスデンにやってきて、もう一度このパンにあやかりたい,そのためには丈夫な歯をキープしなくては)

食べ終えるころ、お父さんの、ピーターさんと伴侶のアンケさんも一緒にゆくためにやってきて、ともあれ総勢7人車窓の人に。郊外から30分くらい、汽車はエルベ川を上流に向かって、沿って走る。この車窓からの景色が素晴らしかった。

川沿いから見える、人々の暮らすカラフルな家のたたずまいが、まるで日本の家々とは異なるので、われわれの異国情緒をいやがうえにもかきたてるのである。またもや歳を忘れ、私は小学生のように車窓からの眺めに魅入ってしまった。

そうこうするうちに田舎の小さな駅に着いて、歩いて船着き場へ。そこから渡し船で対岸に渡る。こんなところに観光に来ている日本人は我々くらいだろうと思っていたら、30歳くらいの男性が休暇で来ていて驚いた。分かる人にはわかるのだ。

船が出る前、その彼に我々全員の写真を撮ってもらった。ドレスデンの幼稚園の子供たちも先生に引率されてきていて、朝の陽光に照らされているエルベ川をともに船で渡ったのだが、なんだか今書いていても、おとぎ話のような光景だった。

ドレスデンでも有数の観光地なのだろう、平日の朝早くなのにすでに観光客が訪れていた。汽車から見えた、川沿いのそそり立つ奇岩の岸壁の頂上目指してわれわれは、怜君を先頭にゆっくりと歩き始めた。対岸のレストランや、お土産物売りショップはまだしまっていた)。

歩き始めて、10分もしないうちに森のなかへと山路は続き、手ごろな散策が楽しめる最高の森林浴のコースが、きちんと手入れされていた。ドレスデンからわずかな距離のところに、こんなにも深い森があるとは、思いもしなかった。

時間が経つにつれ、次々に軽装でや山歩きを楽しむ、老若男女が増えてきた。我々7人は怜君をガイドに、途中休み休み進みながら、高くなるにつれ眼下に広がるエルベ川の両岸に広がるドレスデンの景観を存分に眼に焼き付けた。

怜君がロッククライミングを何度もやったという岩場も知らされた。10代のときから、何度も何度もここに来たという。時候のいい時だけではなく、冬場もきて遊んだという。昨年のクリスマスは、雪の中娘や友人たちとも来たというから、きっと怜君にとっては、私にとっての故郷の山のような、大切な精神の居場所なのだろう。

妻が思ったよりも元気に山歩きを楽しんでいたのが嬉しかった。普段から愛犬メルとの散歩での効果が出ているとおもった。怜君は頂上で昼食の予定でいたのだが、思ったよりも早く着いたので、飲み物とアンケさんが持参した、ソーセージや野菜(小さなキューリを丸かじり、これがうまい)を頂きながら、ゆっくりと休息タイム。

私とピーターさんと怜君はもちろんビールで乾杯。頂上の山荘売店はは、もちろん山小屋値段なので高いが、その味は格別だった。じっとしていると肌寒くなるので早々に下山する。

下りは反対側を下る。のぼりとは、又まったく雰囲気が変わりもっと樹木が増え、下るに従って沢の水の流れが見えてきて、再び途中の山荘でトイレタイム休憩。

ここには面白い仕掛けがしてあって、水をせき止めあふれそうになると、滝のように流すのだが、その時間が来ると、その臨時の滝を背景に、観光客が一斉に写真を撮るといった按配。もちろ我々も撮った。怜君が記念の絵葉書を買ってくれた。

ピーターさんと私は気分がいいのでここでもビールを飲んだ。ピーターさんと私は男同士、多くを語らずとも、ビールで会話ができるのである。おだやか、というしかない、閑雅なひとときが、ドレスデンの森の中で流れ、新しき出逢いの関係性がたおやかに深まってゆく。

山をかなり下りてきたところに、突然小さな湖が現れボートを楽しんでいる人たちが見えた。悠然と大きなニジマスが泳いでいる。お昼、ぐるっと一周回る形での、我々の奇岩をめぐる変化に富んだ山歩きを、全員無事に終えることができた。

眼の前の、エルベ川を望みながら、ゆっくりと贅沢な気分のランチ。それぞれ好きなものを頼み、わけあってたべた。ペーターさんアンケさんとすっかり打ち解けてゆくのが、自分のなかでよくわかった。

午後は、そこからドレスデンまでの川下りを怜君が計画していた。昼食後、3時発の船の時間まで少し間があったので、川岸の緑の上でしばし横になって骨休めタイムを、川風と陽を浴びながら過ごした。至福のひととき。

時間が来て船に乗り込むとすでに満員、川下りの人気に驚く。仕方なく船のデッキに腰をおろして、いよいよエルベ川の川下りが始まった。

途中何回か止まり、そのたびに人々が乗船下船を繰り返す。一時間もすると、椅子に座ってゆっくりと川下りを楽しめた。対岸の路を自転車でゆきかう人たち。手漕ぎボートの練習をする人たち、カヌーの練習をする女の子のチーム。行き交う大小に船。

乗馬を楽しむ人たち、上半身裸で日光浴を楽しむ人、犬を泳がせる人、たくさんの羊たちの群れ。川沿いに緑地が豊かに広がるなか、地に足のついた人々の生活が望める。

時候が良く、緑一色といった印象がずっと続く、すっかり私はドレスデンが気に入ってしまった。ドレスデンの人々がこよなく、エルベ川に親しんでいるのがよくわかった。

川から離れた少し小高い所にに棲んでいる家々も点在している、生活には多々不便なことも多いだろうと思うのだが、そこは文化の違い、考え方の違い。不便さを快適に作り替える大人の余裕のようなものを、私はドレスデンの人たちの暮らしから、わずかな時間の中で感じ取った。

このようなかたちでの約2時間の船旅を、生まれて初めて私は体験したが、このような旅をアレンジしてくれた怜君に、私は心から感謝した。

夕食は、船着き場から歩いてすぐの、その昔ドイツを代表する文学者の一人、シラーが住んでいたことがあるという、由緒ある古いカフェレストランにつれてゆかれた。夕食には少し早かったので、怜君たちは、ちょっとものを包む色紙を買いにゆき、その間は私と妻とペーターさんとアンケさんの4人で彼らの帰りを待った。

もちろん、私とペーターさんはビールを飲みながら。4人で、片言の言葉でやり取りしながらなんとか、意思の疎通を図る。窮すれば通ずの例え通り、面白おかしく過ごしていると、学校を終えたリヒャルト君15歳もやってきたし、怜君たちも帰ってきて、再びにぎやかに全員での夕食タイムとなった。

それぞれまた、思い思いのものを頼んだ。私はポテトのグラタン風のモノを、これがおいしかった。怜君がチーズのもり合わせを頼んだのだが、日本で頼んだらすっごく高くつくのだろうがここはドレスデン、当たり前そんなに高くない。頼んだものすべて、全員で平らげた。幸せな時間というしかなかった。

一日の旅の終わりの、エルベ川のそばのレストランでの新しい家族との夕食は、事のほかの感慨を私の中にもたらした。私の中に、まるで夢のような一日を過ごさせてもらった感動が広がった。

お昼代は、私たちが支払い。船賃と夜の夕食代は、ペーターさんがなんと言っても支払ってくださった。甘えることにした、ドイツ男子なのだ。

日がとっぷりと暮れ、異国の石畳の街を少し歩きバス停へ、家路へのバスに乗り途中で下車。ぺターさん家族とハグして(ぎこちなかったハグにもすっかり慣れた)別れ、そこからはいつもの86番でホテルへ向かった。

シャワーを浴び、白ワインを飲みながら、この日の出来事を反芻した。睡魔がやってきてベッドで横になり、漆黒の静けさの中で家族とは何かと考えているうちに、深い眠りに落ちた。

(帰国して2週間しかたたないが、怜君によると、すでにペーターさんアンケさんが、来年5月日本に来たいと言っているそうだ。こうして、予期せぬ愉しいことが起こるのは、きっとあの日の山歩きとエルベ川下りでの愉しい思い出が、何か後押ししてくれているのではないかという気がする)








































































































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